夕方の長い散歩

Zama, KN


・2月20日金曜日#2

 座間を「Zama, KN」と表記するとどこかアメリカの田舎町のような印象になって、そんなところも座間を好んでいるひとつのささやかな理由かもしれない。ちなみにKNは神奈川の略。カリフォルニアをCA、ニューメキシコをNMと略すように。
 この町は坂が多かったり他にもいくつかの言葉にしづらい特徴があって、散歩して回るのがおもしろい。今日はなんとなく頭が煮詰まっている感じがあり、夕方にまずいつもの公園まで歩いた。昨晩からずっと頭の中で流れているsugar plantの『rise』という曲があり、きっと今日それを散歩中に聴くといいと思ったのでイヤホンを上着のポケットに入れて出た。我が家自体が割と高台にあるので、近所をすこし抜けると一気に景色が広がる。今日も遠くに見える山並みがきれいで、もうすこし暖かくなったら山歩きに行こうと思っている。その山に雲間から日が差していた。先の日記に書いた『rise』の歌詞の日本語訳にある「光を求めて上昇して 私は私を証明する」というフレーズを思い出す。公園の山道を抜けて見晴らしのいい高台のベンチに腰掛け、ここぞとばかりにiPhoneにイヤホンを繋ぎ、その一曲を流す。リピートにしてその一曲だけを聴き続けた。日本語訳のフレーズをまた思い出していた。
 何回リピートされた頃だろうか、再び歩き出してからは駅の横を通り抜け、更に普段あまり行かない方面まで足を伸ばしてみた。ちょうど夕方5時頃、駅の周りには会社や学校帰りの人が行き交っていた。そしてそれは同時に、夕日が沈んでからの穏やかできれいな時間の始まりでもあった。線路と畑の間の道路を歩き続け、適当なところで曲がって住宅地へと続く坂道を登っていく。初めて歩く道だが、きっといい道だという感じがあった。住宅地を抜けていく、その町の人々の生活が感じられる道、という意味で。暗くなり始めた夕方は余計にそんなふうに住宅地に独特の魅力を漂わせる。生活の気配、匂いとでも言えるだろうか。もっとも、あの時間帯に今日の気分で歩いていれば、どんな道でも気分よく進んでいけたようにも思う。
 住宅地の脇に更に高台へと続いていくような脇道があったので、迷わずそっちを選んだ。金属バットで野球の球が打たれる音が聞こえた。あのカキーンという音は久しく聞く機会がなかったので、なんとなく懐かしさを感じながらその音がする方へ歩いて行った。雑木林の向こうの方から音が響いてくるが、その向こうは遠くの街の明かりが見えるだけだった。更に歩いて行くとその雑木林の向こうが谷になっていることが分かり、その下に野球のグラウンドが見えた。中学生くらいの男子数人が放課後の遊びに興じているらしかった。いかにもその年頃の男子というような彼らの楽しげな雄叫び声が微笑ましかった。そんなふうに高台へ歩き進めた末に、ぼくの目の前にはポコポコと小高い丘が二つ三つ現れ、近くの看板を見てみるとそれは古墳だということがわかった。古そうな石造りの簡素な階段を上ってその丘の頂上へ行くと石碑らしきものがあり、そこはたしかに何かなのだとわかった。ただもうその頃には大分暗くなってきていたし、詳しい説明には目を向けずに、遠くの山々をもう一度ぼんやり眺めた。眺めのいい場所にさえ来られたらよかったのだ。
 イヤホンからもう1時間以上ずっと小さくリピートされ続けている曲の音量を上げて、階段の一番上に腰掛ける。そうしているとあまりにもどこかで感じたことのある感覚が湧き上がり、すぐに思い出したのは愛知県の実家の近所にある墓地内の、長い階段の上に座っているときのことだった。墓地といっても平和公園と呼ばれる広大な面積の集合墓地で、まだぼくがスポーツ少年だったころはその階段でトレーニングをしたり、犬の散歩でもよく通った場所だ。長い階段の一番上では腰を下ろしたくなる癖があるのかもしれない。高校や専門学校に上がってからは、青くセンチメンタルな気分をその階段の上へ持ち込んで、遠くに焼けていく夕日を見たこともあったのではなかったか。
 階段の下を芝犬を連れた女性が通った。そんなことを思い出しているときだったので、どうやってもその映像は母親と実家の柴犬よねの散歩姿と重なり、すっかりティーンエイジャーとして過ごした青臭い日々を思い出す時間になってしまった。ぼくは生まれ育った愛知県春日井市にある小さな住宅地が大好きなのだ。この階段を降りて実家へと続くあの緑道を歩くことができたら......なんて束の間の妄想が頭を過ぎった。
 ただ、それは嬉しいことだった。微笑ましく、同時に多少のセンチメンタルな気分を伴いながら思い出すことのできるあの日々が確実にあったということ。その中で、ぼくはどんな顔をして暮らしていただろう。その時のぼくは26歳という年齢をどうイメージしていただろう。今ぼくが彼に会ったら、どんな話をしてあげられるだろう。胸を張って真っ直ぐ目を合わせられるだろうか。まるで、意識の中に新たな指針が設けられたような気分だ。あの頃の日々に、そしてあの日のぼくに背中を押されたような初春の夕方。イヤホンはもう外して、家へ続く道を探しながら歩いた。

光を求めて上昇する

・2月20日金曜日
have you ever been under the water?
I'm so afraid I couldn't find time
the only thing I see is a memory
I cannot change

have you ever seen the world in the sea?
I'm so afraid I couldn't find me
the only thing I want is an entity
I can touch and feel

I wanna rise to the surface
I wanna rise to be born not to die
I wanna rise just to see you
I've got to rise to prove it
I gotta rise

水面下にいたことある?
それはもうおそろしいところ
時間の存在しないところ
ただあるのはもはや変えることのできない記憶だけ

水面下のぞいたことある?
それはもうおそろしいところ
私が見つからないところ
ただただ触れて感じることのできる私が欲しい

光を求めて上昇する
私は記憶として漂うのではなく
私は私として生まれアナタと出会う
光を求めて上昇して
私は私を証明する

"rise" by sugar plant
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 学生時代、自分で好きな音楽を探して聴くようになって少し経った頃、今の価値観を身につけ始めた頃、その頃から変わらずずっと聴き続けている音楽は片手の指で数えられるほど。sugar plantの話題を人と共有したことはほとんどないし、もう活動していないと思っていたけれど、ずっとひとり聴き続けてきた音楽だ。最近の、というよりもつい一昨日のライブ音源を思いがけず聴けて感動した。CDを棚から探して一曲歌詞を見る。その勢いで書き写してみる。日本語訳の最後のフレーズがとてもきれいだと思う。

COFFEE AND PRINTS


・2月19日木曜日

 昨日は年上の友人が家を訪ねて来てくれて写真をたくさん見てもらった。彼らとこれから始めるあるプロジェクトの為で、うまくいけばお互いにとても気持ちのいい広がりが期待できる。彼らの為にセレクトしてプリントしておいたものを気に入ってもらえて、ぼくとしてはこれ以上無い話が始まりそう。その中から彼らに更にセレクトしてもらった写真をパラパラと見ていると、それらの写真に共通した雰囲気、彼らの好みが見えておもしろい。そしてその趣味がぼくとほとんど似通っていることが嬉しい。気の合う人とお互いにワクワクする何かを始められるという楽しさ、そしてなによりこういう機会を与えてくれる彼らに感謝。

Switch30周年トークショー

2月16日月曜日
 すこし前のことだが、東京のSwitch PublishingのカフェにてSwitch創刊30周年記念イベントとして開催された、編集長の新井敏記さんと黎明期のアートディレクションを勤めた坂川栄治さんのトークショーを聴きに行った。
 トークの内容とは違うのだが、その日イベント内で流れた音楽も印象に残った。まずお二人のトークが始まってすこしした頃、新井さんが話しながらテーブルの上のCDプレイヤーにBGM用の音楽をセットした。それは映画『Paris, Texas』のサントラで、ぼくの一番好きなCDのひとつだ。以前、朗読のBGMにこのCDを使ったこともあったり、個人的にこのCDには特別な思いがある。そしてイベント中にはスライドショーも上映されたが(数年前にご友人が亡くなられたときに贈られたものという、美しい映像だった)、そのBGMにもやはりそのサントラから一曲音楽が使われていた。その映画を好きならばすぐにどの曲かわかるはずで、そう言うぼくも去年自らの結婚式用に作った生い立ちの映像にその曲を使用したのだった。そんな共通点は単純になんとなく嬉しかったし、より近い気分で彼らの話に聴き入ることができた。
 その夜に聞いた話、そしてそこに見た彼らのスタイルには、今のぼくは大きく心を動かされた。トークショーの最中もその帰り道も、色んなアイデアが頭を過った。書き留めておかなくてはと思い、閉店間際の喫茶店に入ってノートに走り書きをした。家へと歩く帰り道、ひとつのことをぼくは心の中で決めた。自分にできることを思い描きながらひとりで笑い出しそうな夜だった。




I'M HERE.

2月4日水曜日
 どんどんと日が流れて行く。と思ってしまうのはあまり好きではない感覚。その中で自分ができること、やりたいこと、やっておいた方が良いことをちゃんと把握してひとつずつ片付けていくことを目標にしたい。すぐにはうまくいかなくても、そう心掛けて実験のように自分に合った仕事の仕方、生活の仕方を試みている友人の姿を見て(SNS上で)、改めてそんなことを思っている。今自分にできること、すべきこと。先の夢ばかり見て一人でわくわくしていても......と、今までに何度も思ってきたはずのことを、情けない程に定期的に思い返しているような感じ。

SHERYL DUNN "EVERYBODY STREET"

SHERYL DUNN. Jan.22th, Tokyo

2月3日火曜日
 1月と書き、ハッとして書き直した。
 ニューヨーク在住のフォトグラファーでありフィルムメイカーSheryl Dunnの、ドキュメンタリー映画の上映と写真展『ANYBODY AVENUE』が先日まで東京でやっていた。竹村卓さんの本で見て以来、格好いいなあと思って頭の隅に残っていたシェリル。その卓さんの企画で開催された展示に行かない理由は無く、シェリル本人にも会いたくてオープニングに行った。本人を目の前にしてもやっぱりその出で立ちや話し方から感じるのは「格好いい」という印象だった。混み合う会場での上映会は画面がところどころ観られなかったけれど、それでも充分に込み上げて来る感情があり、また日を改めて観に来ようと思っていた。
 その夜の上映会が終わって会場の撤収作業が進められる中で、壁に展示されている写真をぶらぶらと眺めて歩き、人が少なくなったところでシェリルに話しかけた。こういう時にZineは本当に便利で、挨拶代わりというか、それを渡すことでまずひとつ大きな門を抜けられるような感じ。カメラは何使ってるの、とかそんなことをすこしだけ話しただけだが、久しぶりに好い緊張感で胸が高鳴った。帰り道もその興奮は冷めず、そして二週間以上経った今も引き続きあの夜のモチベーションは保たれているように思う。彼女が作ったドキュメンタリー映画『EVERYBODY STREET』はニューヨークのストリートフォトグラファーたちをドキュメントした映画だ。先日もう一度ゆっくり観に行ったが、やっぱりとてもポジティブな刺激を受けることができた。同時に最近は森山大道氏の本を読んでいるところなので、相互作用でぼくの写真欲は高まる一方だ。Street Photographyの魅力を改めて感じている。
 あのオープニングの夜の帰り道、久しぶりに手が震えていた。それは単純に緊張して震えていたというダサイ話だし、それが原因だろうか、シェリルを撮影した写真もすこしブレていた。ただ、普段こんな風に誰かに面と向かって写真を撮らせてもらうことは無いので、そういう意味でもこの日はやっぱり写真欲が高まっていたんだなという感じがするし、なによりもその日から、確かにぼくの写真の撮り方はすこしだけ変わったように自分でも思う。
 ぼくは喜びやすいタチなので、シェリルがぼくのZineを見ながら話をした後に「また会えるね」という風に言ってくれた言葉をいちいち覚えていて嬉しく思っている。本当にそうなってゆくようにと、また気分を高める。