晴れのち雪

1月30日金曜日
 昨日は妻の実家で庭仕事をした。12月に剪定をしに行ったときの残りを、やっと済ませに行くことができた。たった数カ月だけ植木屋に勤めたことのあるだけの、それも植木畑での仕事だったのでハサミよりもスコップを主に握っていたという、インチキガーデナーだ。朝は凍える寒さだったが、だんだんと日が上るにつれて気持ちのいい陽気になり、そんな日差しを浴びて外で作業をするのは気分がよかった。それが一転、今朝起きたら予報通り雪が降り積もっている。細長い園芸用の緑の支柱を使って庭木の雪を下ろしていたら、簡単にぐねっと曲がってしまった。こんな日は一日家で作業をしようという気でいたが、やっぱり出掛けることにする。いつもと違うものが見られる機会だし、そんなふうに色んな景色をもっと見て歩かなければならないと最近増々思っているから。

いつかどこかで起こっていたようなこと

1月27日火曜日
 電車に乗っていた。ターミナルになっている大きな駅に着く手前で減速し、その駅に着くまでの最後の数百メートル、電車はゆっくりと進んだ。窓際に立って外を眺めていたぼくの目線の先には電車用の大きな車庫のような倉庫があり、トタンのくすんだ水色がぼくの好きな色だった。そんなことを思いながらその車庫のような倉庫(もしくは倉庫のような車庫)を眺めていたら、その建物の隙間に、一瞬だけだったがキャッチボールをする男ふたりが見えた。ちょうど昼ごろだったから、昼食を食べ終えて運動をしていたのだろうと想像する。ただ、そんなくすんだトタンの倉庫の脇で、大人の男ふたりが作業着を着てキャッチボールをしている光景はぼくの目には印象的に映った。ひと昔前なら、どこかアメリカの田舎町を通過する列車からそんな光景が見られたんじゃないかというようなイメージが頭を過り、すこしばかり感傷的とも言えるような気分が、その瞬間こみ上げてきたのだった。
 次もその駅の手前に差しかかったら、きっと窓際に立ってまたトタンの色に見とれるだろう。そしてそのときには、そのトタンの色の向こうに、遠い国のいつかの哀愁を感じようとするかもしれない。ぼくが憧れるのは、そんな遠い日の、写真集や映画でしか見たことのないようなかすんだ映像だ。

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 ぼくのzineなど写真関連のものをオンラインで販売できるようにしてみました。たまに何か別のものが店に並ぶかもしれません。zineなどまだお取り扱い店は少ないので、もし興味をもっていただけたら是非覗いてください。(お取り扱いいただけるお店も募集しています)
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日記と手紙




1月26日月曜日
 数日前のことだが、写真展のオープニングに来てくれた友人から手紙が届いた。その日のぼくの日記の朗読を聞いて日記を書こうという気になり、ちゃんと伝えていなかった展示の感想をその日の彼女の日記として書き、そしてそれを手紙として送ることにした、とのことだった。こんなにももらって嬉しい手紙、そして展示の感想というのはあまりないと思った。ぼくに伝えるための書き方ではなく、彼女が見て感じたことを自分の言葉で自分だけに書き残しておく目的で(本来は)書かれた文章は、こちらも一種の緊張感と、そして臨場感のようなわくわくした気分を持って読むことができた。どういう形式で返事の手紙を書こうかなあと考えるのも楽しいし、そういう付き合いを続けられたらそれもまた素敵なことだと思う。先日までの写真展に引き続き、「丁寧に」ということを生活の中でもひとつ心掛けることができれば、またぼくもすこし成長できると期待したい。そうして自分の昨日の生活ぶりを振り返ると、いかに雑だったことか。

THANKS, LOCAL AND YOU ALL !

1月20日火曜日
 一昨日18日日曜日にLOCALでの展示が終了しました。「丁寧に」ということを意識して制作、展示に臨んだ今回の写真展は、ひとまず今の自分が試みたかったやり方でできた、というささやかな満足感は感じています。それと同時に思いがけない新たな出会いもあり、個人的な感想としては、これから先への新しい一歩である、と思いたいです。
 よほど用事がないと足を運ばないであろうたまプラーザまで観に来ていただいた皆さん、来れなくとも気にかけてくれている友人たち、そしてなによりもあの素敵なスペースにぼくの写真を展示させてくださったLOCAL矢田さん、どうもありがとうございました。来てくれた友人たちから「いいお店」とか「ここで今度眼鏡つくりたい」という台詞をたくさん聞けたのもうれしかったです。(最終日の一番最後に来てくれたフォトグラファーの友人は実際に眼鏡をつくっていきました...)
 こうした好い人、好い場所との繋がりの中で活動をしてゆけるように、この小さな一歩を続けていかなくては、と改めて。そしてその隣にいてくれている妻に感謝を。








ひとつのピリオド

1月17日土曜日
 今日は夕方18時頃から、明日は時間は未定ですがやっぱりきっと夕方ごろから、写真展会場のLOCALに行く予定です。明日18日日曜日が最終日ですので、是非お越しください。
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 これから先の心躍る出来事への胸の高鳴りと、ため息とを繰り返す。前者が輝いている時間帯は、なんとすばらしい生活が待っているんだというような気持ち。そして、その数時間後には頭を抱えている。そんな風に気分で簡単にふらふらしてしまう情けなさにため息をつき、また翌日には期待感に胸を膨らませている。もう一歩踏み出せばきっと歯車が合い、それぞれが動き始めると信じる。
 去年の末から森山大道さんの写真やエッセイを読んでいる。それまでなんとなく避けていた感があったけれど、ちょっとしたきっかけから頭の隅にその名前が引っ掛かっていて、本屋でたまたま見掛けたエッセイを買った。そしてぼくはもう今スッカリ森山大道さんの虜になりはじめている。それがぼくの写真に影響を与えるのかどうかわからないが、とにかく思うのは、もっと街を歩かなければということで、ぼくの中でひとつのピリオドを打つ気持ちになっている。この先の道は険しいかもなあなんて思いながら。

猫のスギ平



1月14日水曜日
 庭に鳥が集まって来る。別にネム(飼っているインコ)に引き寄せられて来ている訳ではなく、木の実や花を食べに来ているようだ。最近はクチナシや千両の実を食べていて、きっともう少し経ったら去年のようにコブシのツボミも食べられてしまうだろう。昨日はスズメとハト、そしてヒヨドリが集まっていた。そんな鳥たちを狙っているのかどうかはわからないが、猫のスギ平が久しぶりに姿を現した。スギ平とは、去年からたまに庭を横切っていくのを見掛ける賢そうな良い顔をした白黒の猫だ。先月12月、雨の降る日にテラスに雨宿りをしに来た日から、ぼくは彼にすこしばかりの親近感を抱き、名前を付けて呼んでいる。その数日前、初対面の人に挨拶をしたら杉江が「スギ平」と聞こえたらしく、「スギ平さんは◯◯なんですか?」と会話に出てきた時は笑ってしまった。と同時に「杉江スギ平」というのはなかなか好い名前だと思い、いつかペットに名付けてやろうという気になっていたのだった。
 昼ごろ、そんな猫のスギ平の鳴き声に気が付き庭に出ると、鳥たちも逃げていき、スギ平もゆっくりどこかへ去って行ってしまった。彼の、他の野良猫のようにササッと走って逃げて行かず、ゆっくり去っていくところが気に入っている。もう一か月近く姿を見ていなかったので見られただけでも嬉しかった。昨日の午後は、テラスへ通じる窓を開け放って部屋の掃除をしながら模様替えをしていたのだが、夕方ごろ、フと視線を感じて窓の方を見ると、部屋の中に入って来そうな程すぐそこにスギ平がいてこちらをジッと見つめていた。10秒くらいジッと目を合わせ、iPhoneで写真を撮ろうとしたらまた歩き去ってしまった。なんとなく彼に対しては「逃げる」ではなく「去る」という言葉を使いたくなる。今日は来るだろうか。朝から庭をチラチラ気にしている自分がいる。

それぞれの生活の中で試みていくこと




1月11日日曜日

 昨日からLOCALでの写真展が始まった。オープニングパーティも、来てもらいたい友人知人が集まって来てくれて、楽しく和やかな時間を過ごすことができた。どうもありがとうございました。
 今回「展示写真に関連した文章の朗読を行う」と告知していたが、正直に言うとあまり書くことができず、その代わりに、12月の後半から展示開始まで毎日何かを書き、それを朗読することにした。(このブログ上に書いたものとほとんど同じものを朗読した) それが何になるのか、人前で読む価値があるのか、そんなことはわからないが、その時に出来ることをやってゆくしかないという、一種の開き直りのような気分でもある。そして、そんなふうに自信のあることでなくても人前で発表してゆく、ということこそが永井さんから伝えられたことだと思っている。文章の書き方にしても、ぼくはもう本当に永井さんの影響を受けていることは明らかだ。今はそんな真似事のようなことしかできないが、きっと続けてゆけばそこからまた自分のスタイルも生まれると信じてみる。とにかくやり続けてゆくことだと、今は自分に言い聞かせているような感じ。
 以下、ちょうど読み終えた何度も読んでいる永井さんの本のあとがきからすこし抜粋して。


 文章というのは、誰もが持ち得る表現形態のひとつです。自分の気持ちをそのままに表すことでもひとつの作品として成立していくのだということを、この本で示したいとも思います。また、似たような生活の中でもそれぞれの視線や感じ方が違っているということを認識していくこともできますし、日々のなにげない事柄を文章にすることで自分の生活意識を見つめ直していくという作業も生まれていきます。そんな楽しみ方をこの本によって知っていただいて、それぞれの生活の中でも試みて欲しいと思います。ゆっくりとした時間や感覚をそうした作業の中に見つけることができて、それが個人個人の中でどう機能しているのかということを考えていくこともできるからです。
 –永井宏『words』あとがき より

やっぱり最後は

1月9日金曜日
 夕方、最後の額装をしているとマットが足りないことに気が付き、街の画材屋へ急いだ。今回は余裕をもっているつもりでいたのに、いつの間にか鼻息を荒くして手を動かしている始末。車に荷物を積み込みたまプラーザへ向かって走り始めると、何か青春の風も感じるような、心躍る行事が始まる前のような気分だった。夜から出掛けるというのも、そんな気分を盛り上げてくれる。友人の音楽を流しながら気持ちよく夜の246を走っていると、覆面パトカーに路地へと誘導された。おにぎりを携帯電話と勘違いでもしたのだろうと思い、窓越しに声をかけて来た男によく見えるように、その右手を胸の辺りまで気持ち堂々と持ち上げて挨拶した。男はおにぎりには目もくれず、スピード違反であることを告げ、パトカーへと案内した。わかりやすく機械的な説明をした真面目な彼のつくる書類は、女の子のようなかわいらしい文字で書かれていた。この先は下り坂で、もっとスピードが出て危険が高まってしまうのでお止めしました、と言われたが、それなら注意だけでいいじゃないかと思う。気分を取り戻して再び走り出すと、食べかけのおにぎりはまだ温かかった。

夜中の新聞配達

1月8日木曜日
 散髪をしに街へ出た。明日搬入の展示の準備がまだ終わっていないのに、どうもこういう時に別のことをしたくなってしまうのは、ひとつの癖のようなものかもしれない。学生の頃は、よく試験前に部屋の模様替えをした。今も実は部屋の模様替えをしたいのだが、今回は展示が始まったら、と決めて我慢している。
 額装や細かい作業を進めているとあっという間に夜中だ。2時を回ったのでそろそろ新聞配達のバイクが隣の家に来る頃だ。子どもの頃からなんとなく「新聞配達は朝4時」というイメージを持っていた。こちらはまだ夜中のつもりで作業を続けているのだから、朝を連れてくるにはまだ早過ぎる。こんなことを書いている今2時23分、ぼくを黙らせるかのようにバイクがやって来た。

いよいよ始まりそうな



1月7日水曜日
 Localに出掛け、最後の打ち合わせをする。行きに二回電車に乗り過ごし、帰りには乗り換えの駅で違うホームにいて乗り遅れた。これこそ正月ボケというものだろうか。
 今回は色んな部分で丁寧な展示にしたいと思っていて、矢田さんとの打ち合わせの度にそれが具体的なイメージになって来た。今回はじめてつくったカッティングステッカーもそのひとつで、展示に先駆けて通りに面した窓に貼付けた。とても満足のいく出来で、小さなことでもこうして毎回なにかしら新しいことをしてゆきたい、と改めて思う。かつて永井さんに言われた「個展は訓練だから」という言葉は、今も変わらずぼくの背中を押してくれている。そしてまた一冊、永井さんの本を読み直しはじめた。

それはきっと正月のせい



1月6日火曜日
 展示前の最後の暗室作業。もう週末にはオープニングがあるというのになんとなく余裕を感じていて、今までの展示がどれだけぎりぎりだったかを思い返す。
 正月のおせちの残りで持って帰って来たおかずがやっと無くなってきて、何度も食べていた大好きな雑煮も自然と食べなくなるのでおもしろい。こうしてまた冬の日々が動き出して、いくつかの出来事を正月ボケだとか、正月のせいにしてすこしずつ「本来の自分」と呼びたい自分の姿を目指してみたりする。

頭痛初め

1月5日月曜日
 展示に必要な備品などを買いに街へ出た。すこしくらい正月のバーゲンを冷やかして回ろうという気分でいたが、だんだんと頭痛がひどくなり、終いには車の中で寝込んだ。一緒に行っていた妻の世話になってなんとか帰宅し、布団で唸りながら寝た。そういえば何年か前、地元名古屋にいた頃、初日の出を見に静岡の海辺まで車を走らせたことがあった。予定も特に無いし、ということでそのまま葉山まで走って行ったときもひとり頭痛に唸り、海岸沿いの見晴らしのいいパーキングで何時間も寝て過ごした元日を思い出す。ひとつ可笑しかったのが、駐車代の高さにぼくだけでなく係のおじさんも驚いていたことだ。そこは見晴らしがいいだけに、それを楽しむためにすこしだけ深呼吸をしたいお客向けのようだった。

仕事初め



1月4日日曜日
 予定より一日遅れて仕事初め。展示に向けた暗室作業がはかどる。定着まで済んだプリントがある程度溜まったら風呂場に運んで水洗作業に移る、という流れを何度か繰り返す。日が暮れてあともう一回暗室に入ろうと決めたとき、風呂場の鏡に映った、いかにも休日という感じの髪型が気になり、ニット帽を被って暗室へ入った。それだけでなんとなく気が引き締まった気分で、そのまま寝る前まで被り続けていた。

二度目の初詣

1月3日土曜日
 昨日に続き初詣へ、近所の神社まで歩いていった。もう初ではないけれど。よく晴れているだけで気持ちがよかった上に、歩き出してすぐ、今日が土曜日だということに気が付いた途端、より一層足取りが軽くなった。参道に並んだ屋台のひとつでたこ焼きを買う。なんとなく年末あたりから外へ出掛ける度にたこ焼きが気になっていたのだ。そのたこ焼きはぼくのその欲を満たすものではなかったが、公園のベンチに座って食べたほんの数分間の休憩は、正月の独特な雰囲気の中にいる地域住民の様子を眺められ、そして自分もその中にいることで、違うものを味わうことができたということにしている。

神様との距離

1月2日金曜日
 妻の実家に、お兄さんの家族とぼくら、そしておばあちゃんが集まり、正月らしい一日を過ごした。おせちを食べ、初詣へ行く。神社での「二礼二拍手一礼」のひとつひとつの動作をちゃんとやるようにしている、という話を友人から年末に聞いたこともあり、すこしだけ意識して行った。ただ、思い返すとその動作にばかり意識して、肝心のお祈りを真面目にしただろうかという矛盾に気が付く。もっとも、いつもそこで手を合わせてもなんとなくそこにいることに感謝を述べるくらいだから、まず動作だけでも正しくできるようになれば、すこしずつ聞く耳を持ってもらえるかもしれない。

元日の初雪



2015年1月1日木曜日
 ラジオを部屋で流しながら、お風呂に浸かっている内に年を越した。一日中家で過ごした元日、午後からすこし降る予報だった雪は思いの外よく降り積もり、この冬初めて見る白い景色に、その寒さもすこしは快く受け入れられるような気分になる。庭で、他のどの植物よりも春から勢いよく成長を続けていたレモングラスもついに枯れた。元気な内に刈り取って何かにしておくべきだった。結局、数回お茶にして飲んだくらいで、成長の勢いばかりを観ていただけのような気がする。そういえば、庭のあるこの家に引っ越して来た一昨年の秋、四季を観察して楽しみながら生活したいと意気込んでいたが、すこしは出来ているのだろうか。手つかずになっている庭の木々を、まずは春までになんとかしてやりたい。

振り返れば、なんとなく奇跡



12月31日水曜日
 朝、正月を迎える前にお雑煮を食べた。昼からはzucicaの忘年会のようなお茶会で、友人の家へおじゃました。zucica(ズシカ)とは女子三人組のものづくりユニットで、妻がそのひとりなのでぼくも集まりにはよく参加している。ものづくりユニットといっても活動は本当にゆっくりだが、季節ごとに会って誕生日サプライズをしたり、ただご飯を食べたり、おしゃべりをしたり。彼女たちを見ていると、その付き合い方そのものがzucicaの魅力であり、ささやかな幸せの分かち合いが丁寧に行われていることを感じる。きっと彼女たちのペースだからつくってゆけるモノやコトがあるはずで、その新たな動きを楽しみに待つ。
 皆それぞれに今年を振り返ったり、来年の抱負を述べたりしていると、改めて自分が目指したい方向が見えて来る。あまり先の方までは見えないが、信じて歩いて見に行くしかないのだと思う。そういえば日記には書かなかったが、年末に観たsakanaのライブで、ポコペンさんが歌った歌詞の一節が印象に残った。「振り返れば、なんとなく奇跡」。(記憶が間違っていたらスミマセン。)

カニ鍋セット

12月30日火曜日
 カタログギフトで注文したカニ鍋セットが届いたということで、妻の実家へ行って夕飯を食べた。主役のカニ以上に、その後の雑炊がもっとおいしかった。

お茶の時間




12月29日月曜日

 iPhoneの中の写真を見返していたら、前日の大きな出来事をひとつ思い出した。夜帰宅すると友人からの荷物の不在表がポストに入っていたので、夜間も空いている郵便局まで車を走らせた。家に帰って段ボール箱を開けると、友人手作りの柿のケーキと、あんびんと呼ばれる沖縄の急須、そして結婚祝いのメッセージが書かれたカードが入っていた。まさにちょうどいい急須を探していたところだったし、沖縄へ行って陶芸をしている彼女が選んでくれたそのあんびんは、すぐに我が家の宝物になった。お茶をこんなに気分よく淹れられたことは今までにない。これからはお茶を淹れる度に、彼らが暮らす土地にすこしだけ思いを馳せることができるような気がする。そこには大きな空や草原があって、すこし歩けば海まで行ける。まだ行ったことがないけれど、きっと彼らはそんな土地に暮らしていて、自分たちなりの生活をつくっているのだ。そんなふうにお茶を淹れることを楽しんでゆけたら、どれほど生活が豊かになるだろう。来年へのひとつの抱負にしよう。

朝、コーヒーとリンゴ

12月28日日曜日
 前の晩は遅くまで出歩いていたので、昼前になってようやく起き上がった。友人が淹れてくれたコーヒーとリンゴを軽い朝食に食べていると、気の利いたカフェにでもいるような気分だった。そのくらいその友人の家はセンスがよく、片付いていて、旅先で迎える朝をさらに清々しく感じさせてくれた。そして福岡での最終日も彼らと一緒に過ごすことに決め、行きつけのうどん屋へ着いて行き、彼らの趣味であるクライミングも体験させてもらった。おかげでその後2、3日は腕や背中が痛かったが、なによりもぼくは彼らと仲良くなってゆくのを感じられるその時間が嬉しかった。豊嶋さん、きよらちゃん、どうもありがとうございました。
 夜、飛行機に乗って帰宅したが、福岡を出てからのことはもうほとんど覚えていない。