ゆでタマゴ
朝七時に目覚めて
朝刊を読み
ゆでタマゴを
四つ作り
そのうち
二つを食べる
ゆで具合は
ほぼ理想的
一本目の煙草に
命の火をともし
冷めたコーヒーを
電子レンジに放り込み
空模様を見るために
ベランダに出ると
小雨が風景を洗っていて
空気はひんやり冷たい
無意識のうちにこの詩が
四行ずつに分かれてゆくのは
人生に定型を求める気持ちが
ぼくの中で働いているからか
ついさっきまで
現実だったことが
もうこんな風に詩に化けて
さっさと過去になろうと
していることが
ずるいような気もするが
いつかぼくが骨だけになり
すべてを忘れてしまっても
ゆでタマゴ四つで始まった朝が
確かにあったことを君に伝えたい
詩人、谷郁雄さんの「自分にふさわしい場所」という本は、ぼくが二十歳のときに仲良くなった年上の友人が貸してくれた本だった。その中でもこの「ゆでタマゴ」という詩が心にずっと残っている。本を返してから(その後何年も借りたままだった)は自分で購入し、たまにパラパラと読み返す。ぼくは煙草は吸わないし、コーヒーを電子レンジで温めなおすこともしない。今は新聞すらとっていないけれど、この詩が大好きだ。綴られた言葉の向こうに、どうしようもなく共感するものを感じている。大事にしていたいものはもう自分の中に定まりはじめているはずで、その何とも表現し難い部分をフと感じることが出来るようなもの、そんな瞬間を提供できるものは美しい。先日、自宅で一日妻とふたりで作業をしていて、気分転換に夕方すこし散歩に出た。ちょうど夕暮れ時で、近所の家々や遠く向こうに見える山々を眺めてふたりで歩いていたら、理由無しに、すべてがうまくいくような感覚をおぼえた。その数日後に、去年入籍して以来やっていなかった結婚式・パーティーをぼくの地元名古屋で行ってきたのだが、友人たちの惜しみない協力のおかげで、一生の思い出と言える素晴らしい一日を過ごさせてもらった。そして二年弱働いていた仕事もやめ、まさに自分にふさわしい場所、というようなことを考えているこの頃。今日みたいな、きもちよく晴れた秋の日が一番好きだ。