Zama, COLOR



 学生時代におばあちゃんの写真を撮って以来、白黒でしか撮影をしてこなかったし今後もそのつもりだったけれど、思い立ってカラーフィルムを入れて近所を散歩した。おもしろいことに、「カラーを撮る用の目」に自然と切り替わっているのが自分でもわかり、新鮮な楽しさを感じながら朝夕と足取り軽く歩き回った。そんな風に、いつもの写真とは違うものを撮ったつもりだったけれど、妻に観てもらうと「思ったほどいつもと変わらないよ」という意外な答えが返ってきた。それを受けて見返してみると自分でもそう思えてきて、同時にすこしうれしくもなる。今後どうなるかはわからないけれど、すこし楽しい気分になっているのは確かで、それならば白黒だけに固執する必要はないとも思えてきているのが今の正直なところ。ひとまず、そんな風に近所を歩き回って撮った1本のカラーフィルムの中から、ウェブサイトにも写真を載せました。よければ、観てみてください。

Zama, COLOR


GOMES THE HITMANと11月の日



 昨日、秋晴れの井の頭公園、紅葉は木々を見渡すだけでなく足下でも楽しめる。水面にもそのきれいで奥行きのある色が映っている。池を渡る途中、待ち合わせをしていた相手に会う。それだけでもなんだかきれいな物語が始まりそうな響きだが、そのくらいのことはあの場所にはありふれているのだろうな。それがまた好い。
 日曜日にGOMES THE HITMANのライブを観た。ぼくが高校生の頃に、テレビCMで流れていたのをきっかけに聴きはじめたバンドだ。と言ってもそのころはまだ今のようにライブを観に行くという習慣もなく、いくつかのCDを買って部屋で流したり、iPodに入れて自転車や電車での通学中に聴いていたのを記憶している。その後ライブを観たいと思い立ったころにはもうバンドは活動を休止していて、すでに山田さんはソロで各地をまわっていた。山田さんのブログでぼくの地元名古屋に来ることを知ったときに、すこし緊張しながら会場となる大須モノコトの様子を伺いに行ったことを、今書きながら思い出した。僕の記憶が間違っていなければ、それは自分ひとりで観に行く初めてのライブで、なんとなく一種の、大人の階段を上るような緊張感を伴う心持ちだったのだ。予約をする前に会場がどんな所なのか確かめて、大丈夫だと思ったら予約を頼んで帰ろう、と。思い返すと可笑しく、微笑ましい。たしか19歳の時の話。そしてその夏の徒歩旅行へと続くのだ。(山田さんが以前書いてくれた日記)
そんな存在だったミュージシャンと一緒にイベントを行ったり、公園で待ち合わせてランチをし、彼の自宅でコーヒーを飲みながら日が暮れるまでおしゃべりをしているのだから、先のことは本当にわからない。そんな自分のこれから先のことについて相談にのってもらった、というのが昨日の出来事だ。
 日曜日のライブのことに話を戻すと、一度も観られないままただ音楽だけ聴き続けてきたバンドが目の前にいるのは、すこし不思議な感覚もあった。正直に言うと、山田さん以外の3人のメンバーの方々については何も知らなかったのだ。あのアルバムの1曲目だな、と聴き慣れたインストの曲でライブがはじまった。それからは聴き慣れた曲も知らない曲も(すべてのアルバムを持っている訳では無い)、僕にとってはある意味すべて新しくて初めて目の前で観る、聴く音だ。「メンバー全員がそれぞれに音楽活動を続けてきて7年ぶりに集結した今、確実によくなっている」という山田さんの言葉と、そのメンバー皆さんの姿から表現されていたものは、最近ぼくが日々考えていることの先にある何かのように思えた。妻も同様に感銘を受けていて、ぼくらはすこし真面目な、そして前向きな話をしながら帰路についた。恵比寿の街はきらきらしていて、自分たちが意識していなくても冬のホリデイシーズンに突入しているんだという気分にさせられる。普段はあまり立ち止まらないイルミネーションも、その夜は近くまで行って見ようという気になった。その大きなクリスマスツリーは近くで見れば見るほど細かい装飾が凝っていて、大きくて楽しくて、いつのまにかぼくらも周りの皆と同じ、きらきらした光の中に居た。


(山田さん関連の以前の日記)
2013年11月9日
2014年1月2日

Sai Gon





 すこし長い散歩をした。家にいたら何かよくわからない焦りのようなもので居心地が悪くなり、一度近所の公園まで歩いて行った。それだけでは気分は晴れず思い立って、電車でしか行ったことのない友人の家まで歩いて行ってみることにした。ちょうど先日我が家へ遊びに来てくれた時に忘れていったふたりの傘を返しに行く、という名目も見つけたのだ。期待していた通り、歩いているといろいろなことを考えながら頭の中をすこし整理できた。昨日みたいな日は、家にいると無意味にパソコンを触ったり何度も何度もフェイスブックをチェックしたり、時間を無駄にしている気分に襲われてしまう。外へ出れば体は歩き続けるしかなく、そうすると自然と頭もクリアに働く。そんな時くらいカメラをぶら下げるだけの装備で出掛けたいのだが、財布、手帳、読みかけの本を持とうとすると、小さなカバンを肩に掛けて行かなければならなかった。手帳は何かをメモする為だが、それだけなら紙切れとペン一本だけ上着のポケットに入れたらよかった。本は、途中の公園か喫茶店で読書タイムがあってもいいなと思って持ったのだが、結局止まることなく歩きつづけた。文庫本だったらポケットにも入れられたが、ハードカバーの単行本だったのでカバンが必要だったのだ。まあ読まなかったのだけど。財布にしても、実は現金をそのままポケットに入れている人を見ると「格好いい」と思っていて、とにかくそんな荷物の少ない身軽さに憧れている。ただでさえカメラだけはどうしようもなく持ち歩いているのだから。けどそうして思い返せばカバンを持たなくても大丈夫だったのだなと思ったりもするが、そんなことは今までにも何度も考えていたことで、それでも荷物を減らせないのが今の自分、ということなのだ。
 日没までになんとか到着できるかと思って歩きはじめたが、時間にすると約3時間の散歩で、到着する頃にはもう暗かった。ちょうどそのすこし前に友人夫婦は仕事から帰って来ていて、家に上げてもらうとコーヒーを淹れてくれた。旦那さんのレコード部屋からはジャズが、ダイニングにいても聴こえてくる音量で流れていた。コーヒーを飲みながらしばらく話をしていると妻から仕事がもうすぐ終わると連絡があり、車でそのまま来てもらうことにした。彼女の職場がその友人宅からそう遠くないので、実を言うと最初から帰りは迎えに来てもらおうと企んでいたのだ。いいタイミングだから、ということで先日その友人から聞いていたベトナム人しか集まって来ないベトナム料理屋へ行こうという話になり、そのままみんなで乗り合わせて行った。「相当怪しいところだから」とは聞いていたが、着くとシャッターがほとんど閉まっていて、ベトナム人らしい人影が何人か入り口付近に見えた。友人が声をかけに行くと初め「閉店した」と言われたが、さっき電話でやってると聞いたことを伝えると中へ入れてくれた。タイ料理はよく食べるがベトナム料理はよく知られているフォーや生春巻き以外、そういえばあまり経験がなかった。それなのにきっとこれはちゃんと現地の味だな、なんて思わせられる美味しさと惜しみなく出される付け合わせの野菜・香草には、僕も虜になった。甘いベトナムコーヒーを飲み、大満足で店を出て車へ戻り、友人宅へ向かう。車中では、コーヒーの値段含まれてなかったんじゃないかという話題になるほど安かった。次は誰々を連れて行こうという話も盛り上がり、楽しいことはそうして続いていく。
 散歩の終盤は足が痛くなりはじめていたけれど、意外と筋肉痛もなくいつも通り起き上がった今朝。朝ご飯を食べる妻の横でそんなことを話していたら、明日来るんじゃないかと言われた。一昨日、僕もまたひとつ歳を重ねたところ。

ヨーコさんとコーヒー



 今日、近年一番会いたかったひとりの写真家にお会いすることができた。正確に言うと二年前に一度、あるイベント会場ですこしだけお話をしたことはあったのだが、ちゃんとふたりでお会いするのは初めて。サンフランシスコから東京へ来ていることを知り、すこし無理を言って予定の隙間に時間をつくっていただいたのだ。若気の至り、という言葉に随分助けられているぼくだが、何歳まで大丈夫なのだろう。コーヒーを飲みながらの一時間ほどの会話は、今の自分にはこれ以上無いほどうれしい、ありがたい時間だった。気の多い自分だが、一番やりたいことはこれだ、というのはずっと心に決まっているはずなのに、どうも回り道ばかりしている。まあそのおかげで出会えた人、事がたくさんあるので今まではこれで良かったとして、さて、これから。いくらか視界がすっきりしたような。自分の住む町へ帰って来てから、すこしだけ遠回りをして家まで歩いて帰って来た。高台から見える家々に夕日があたり、すこし冷えはじめた空気が気持ちいい。この気持ちが新鮮なうちに今日のそんなひとつの出来事を書き残しておこうと思った。
 ヨーコさん、ありがとうございました。

http://yokotakahashi.com/

Between the seasons

 出掛けると足下に一瞬視線を感じる季節になった。まだビーサンだからだ。久しぶりにヒゲも生えてくるままにしていてセーターは毛玉多め。出掛ける前に炊飯器をセットしてブリ大根をつくって小鍋に出汁をとってきて、変な主夫の気分で出掛けた先日の打ち合わせ。駅の混み合うエスカレーター付近でビーサンのかかとを踏まれ、謝られた次の一歩でまた同じ子に踏まれたときは笑うしかなく、そうなると向こうも謝りながらも笑っていて後味がよかった。理由はなんであれ、知らない人と小さく微笑み合える瞬間はきもちがいい。街にそんな瞬間がもっとたくさんあればな、なんて善人のようなことを思ったりもするが、街ゆく人々を、気付かれないように撮影している自分が言うのもなんだかオカシイ。
その日の打ち合わせではまた次の展示の話が決まりはじめ、休む間なくどんどんやっていきたいと改めて思う。のんびり生きることは身に付いてしまっているから、すこしくらい自分に鞭を打つくらいがいいのだ。今のうちに。と言いながらこれも、数日ほとんど自宅でゆっくり過ごしている自分が言える台詞ではないのだけど。腰が重たい口だけの人になってしまう前に今日は出掛けよう。雨はなんとか保ちそうだが、折り畳み傘をリュックに入れて行こう。 

角田波健太1stアルバム「onda」




 3年前に地元名古屋を出るまでの2年間、金山にある喫茶店、ブラジルコーヒーで働いていた。マスターとママさんは今も現役で、ぼくのこともよく理解してくれている他にあまりいないすこし特別な存在だ。ブラジルコーヒーという場所自体もそれ以来ぼくにとって特別で、今では毎回「ただいま」という気持ちで席につき、ママさんから今日は何を言われるのかすこし楽しみに待つ。ママさんは真っすぐに思ったことを伝えてくれる抜群の気持ちよさがあって、たまに気になることを言われるが、それを含めてぼくは大好きだ。前回はひと言目に、それはカツラなのかと訊かれた。パーマをかけたばっかりだった。続けて「アッチャン、ダメよパーマなんてかけちゃ。カツラみたいよ」と。ブラジルの話は尽きないのでどんどん逸れていってしまうが、ぼくにとってそんな風に特別な居場所なのだ。そしてなにより、そのふたりの息子の角田健太くん(ぼくはきゅうちゃんと呼んでいる)との付き合いは、他の友人たちとのそれとはすこし違う雰囲気を含んでいるような気がしていて、とても好いと思っている。マスターがまだ現役なので、ブラジルでは店主というのが正しいのか。友人であり、同僚(上司?)でもあったし、またぼくはミュージシャンとして、そして絵描きとしての彼のファンでもある。ツクモク、the pyramid、The Wepsies という3つのバンドで活動していて、最近はソロでもよく演っている。

 そんなきゅうちゃんが、ソロ名義の角田波健太(ツノダハケンタ)としてファーストアルバム「onda」を11月9日にリリースした。CDのジャケットに使ってくれるとは思わずに彼の自宅で撮影をしたのは今年の初夏の頃だった。ちょうど名古屋へ帰る機会があって連絡をとっていたら、初めは「画集を出したいからそのプロフィール写真を白黒で撮ってもらいたい」という話だったはずだ。その時の彼からの「ださい感じで」という要望がとても好く、そしてちゃんとすこしださい感じでセンスの良さを出せるのが彼の魅力なのだと思う。写真を現像してベタ焼きをひとりでニヤニヤしながらチェックしていたとき、こういう風に自分の好きな人の作品づくりに写真で関われることの幸福感を感じた。データを渡してすこし経ったころに、いきなり「写真こうなるよ!」と送られてきた画像がCDジャケットだったときは驚いたが、ぼくの喜びはさらに増したのだった。きゅうちゃんCD発売おめでとう。土曜日の東京ライブ楽しみにしてますよ。このレコ発ツアーは名古屋と京都へも行くそうなので、タイミング合う方はぜひ。

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角田波健太「onda」リリースライブ

東京編
11月15日(土)東京高円寺次郎吉
op1830st1930予¥2300当¥2800
w.藤井洋平 &The VERY Sensitive Citizens of TOKYO
藤井洋平vo.g,佐藤和生gt, 厚海義朗bass, 光永渉dr

名古屋編
11月25日(火)名古屋今池得三
op1800st1900予¥2000当¥2500
w.DinnerSet

京都編
11/26(水)京都磔磔
op18時st19時
w.伴瀬朝彦(g.vo)トリオ
服部将典(ba)、みしませうこ(dr)
予約¥2000当日¥2500
op18時st19時

自分にふさわしい場所

ゆでタマゴ


朝七時に目覚めて
朝刊を読み
ゆでタマゴを
四つ作り

そのうち
二つを食べる
ゆで具合は
ほぼ理想的

一本目の煙草に
命の火をともし
冷めたコーヒーを
電子レンジに放り込み

空模様を見るために
ベランダに出ると
小雨が風景を洗っていて
空気はひんやり冷たい

無意識のうちにこの詩が
四行ずつに分かれてゆくのは
人生に定型を求める気持ちが
ぼくの中で働いているからか

ついさっきまで
現実だったことが
もうこんな風に詩に化けて
さっさと過去になろうと
していることが
ずるいような気もするが

いつかぼくが骨だけになり
すべてを忘れてしまっても
ゆでタマゴ四つで始まった朝が
確かにあったことを君に伝えたい


 詩人、谷郁雄さんの「自分にふさわしい場所」という本は、ぼくが二十歳のときに仲良くなった年上の友人が貸してくれた本だった。その中でもこの「ゆでタマゴ」という詩が心にずっと残っている。本を返してから(その後何年も借りたままだった)は自分で購入し、たまにパラパラと読み返す。ぼくは煙草は吸わないし、コーヒーを電子レンジで温めなおすこともしない。今は新聞すらとっていないけれど、この詩が大好きだ。綴られた言葉の向こうに、どうしようもなく共感するものを感じている。大事にしていたいものはもう自分の中に定まりはじめているはずで、その何とも表現し難い部分をフと感じることが出来るようなもの、そんな瞬間を提供できるものは美しい。先日、自宅で一日妻とふたりで作業をしていて、気分転換に夕方すこし散歩に出た。ちょうど夕暮れ時で、近所の家々や遠く向こうに見える山々を眺めてふたりで歩いていたら、理由無しに、すべてがうまくいくような感覚をおぼえた。その数日後に、去年入籍して以来やっていなかった結婚式・パーティーをぼくの地元名古屋で行ってきたのだが、友人たちの惜しみない協力のおかげで、一生の思い出と言える素晴らしい一日を過ごさせてもらった。そして二年弱働いていた仕事もやめ、まさに自分にふさわしい場所、というようなことを考えているこの頃。今日みたいな、きもちよく晴れた秋の日が一番好きだ。