7/19/2014

Lonesome Strings and Mari Nakamura, July 16th







 Lonesome Strings and Mari Nakamuraのライブを観た。この7月でベース松永孝義さんが亡くなってから2年が経つが、僕がこのバンドを知ったのはその後だった。アメリカ旅行中に、日本でラジオを聴いていた相方が教えてくれたのだった。僕はあっという間に大好きになり、旅行中もよくYouTubeで聴いていた。帰国して約1か月後に決まった名古屋での個展のクロージングに、Lonesome Stringsがライブをしに来てくれるのが決まったときの気持ちは、彼らの音楽を知っている人ならば容易に想像できるだろう。(その時はベース無しの、初めての3人編成でのライブだった)
 先日のライブに話を戻すと、感想を述べることは下手なので簡単な表現だが、至福の時間を過ごした。聴きながら、間違いなく今現在の僕の一番好きなバンドだと感じた。そして同時にもうひとつ感じていたことがあった。ステージ上で演奏をするメンバーを観ながら、その格好よさに対して「悔しさ」のようなものを感じている自分がいたのだ。憧れのミュージシャンを前にしてそんなことはおこがましい話なのだが、それはすこし前に、名古屋の友人でもありツクモクなどのバンドで活動している角田健太くんが東京へ来ていたライブでも感じたことだった。悔しさを感じたところで何ができるだろうか。僕は楽器は演奏できないし、ステージに立つとしたら、朗読くらいか。けれど今までに何度か朗読をしたと言ってもその出来は、それこそ恥ずかしいものだった......。ライブを観ながらそんなことを考えていたのだが、結局思い至ったのは、好きな人たちとは写真で何かしら関わっていたいということ。ライブ中の、そしてライブ中でなくても、自分が好きな人が格好いいところを撮っていたい。できれば透明人間になって誰にも、本人にも気付かれないように撮っていたい。その場で同じ舞台に一緒に立つことはできないが、僕にはそのときを残すことができるんだなと、写真を撮る人間なので当たり前のことなのだが、改めてそんなことを感じた。後でそれを見てもらえたときに彼らに認めてもらえたら、それこそ本望だ。
 こんなことを書きながら、当日カメラを持って行っていなかったなんて付け加えるのは情けないが、きっと持って行っていたとしても撮れなかった。名古屋のブラジルコーヒーのようなホームとも呼べる場所では撮影もしやすいが、なかなか他の場所では気を遣う。ただあまりガツガツするのも僕のやり方ではないので、雰囲気を伺いながらパシャりと収めていけたらと思う。
 先のことはわからないが、こうして格好いい人たちの仕事ぶりを見ると、すこしだけ先の方まで光が灯されるような感覚を覚える。本当にいいライブだった。だんだんと去年4月の記憶は現実味が薄れていくけれど、そこでわずかに出来はじめた繋がりは、たしかに僕を勇気付けてくれている。