土曜日の過ごし方



 「永井と原さんの関係は知ってるんでしょ?」—すごく久しぶりにお会いした、タンバリンギャラリーの濱口さんの口から出たその言葉に目を丸くした。
 土曜日が休日だと、朝からラジオが気分を良くしてくれる。先日の土曜日、午前中はネムの小屋作りをした。実家で飼っていたピー太の鳥かごはネムにはすこし小さい。と言っても朝ご飯をラジオを聴きながらゆっくり食べたりしていたら時間が無くなり、ホームセンターへ資材を買いに行っただけ。翌日すこし作業を進めるが、まだこれから。出来上がった小屋を、そしてその中にネムが居ることを想像してワクワクしているところ。こういう時にザッツのモノ作りの経験と知識が頼もしい。
 遅めの午後に東京へ出て、御茶ノ水のgallery bauhausへ。ロバートフランクの写真展が、展示内容を変えて二回やることを知った。その一回目の最終日がその日だった。中に入って入場料を払いながら僕とザッツは目を合わせて静かに驚いた。ギャラリー内ではパリ・テキサスのサントラの最後の曲、ライクーダーの"Dark was the night"流れていたのだ。二週間前のクロージングイベントでの自分の朗読に、パリ・テキサスのサントラをBGMとして使っていたのだった。ロバートフランクは好きな写真家で、先日までの自分の展示"MAYBE AMERICANS"というタイトルは少なからず彼の"THE AMERICANS"を意識していた。彼が自分で選んだ訳ではないだろうけど、そんなふうにBGMが共通していたことはうれしい出来事だった。明日から始まる二回目の展示も近々観に行こう。
 夜は初めての等々力、永井宏さんの展覧会が行われている巣巣というお店へ。永井さんはかつてそこでワークショップを行っていたようだし、最近知り合いはじめた人たちも、巣巣に関わっている人が多い。なんとなく今まで行く機会が無かったが、その夜は"象の音楽"のポエトリーリーディングを聴きに。象の音楽は永井さん、村椿菜文さん、イシカワアユミさんのユニットで、永井さんが亡くなってからもお二人で続けられている。
すこし遅れて店内に入るともう朗読は始まっていた。その日ゲスト出演者として来ていたチャンキー松本さんに席を譲ってもらえて、一番後ろの壁際の席に。隣に座っていたのがタンバリンの濱口さんだった。
 途中の休憩時間に永井さんの展示を観て回り、濱口さんに自分の近況などを話していた。ブルーグラスが好きな濱口さんたちもきっと聴いているんじゃないかと思ったので、Lonesome Stringsのことを話に出した。バンド名ではピンと来ない様子だったのでどんな編成か、そしてバンジョーの原さんの名前を出した時のことだった。原さんは知ってるよ、それじゃあ聴いてるはずだ。という言葉の次に、
「永井と原さんの関係は知ってるんでしょ?」
ええっ?......訊くと、永井さんはずっと原さんからバンジョーを教わっていたというのだ。青山のspace yuiでの2008年の個展"a great swimmer and banjoman"でのオープニングでは、原さんのバンジョーライブもあったという。2008年の夏、それは僕が葉山までの徒歩旅行をした19歳の夏で、そして、その青山space yuiの個展会場で初めてぼくは永井さんにお会いしたのだ。「原さんとはなにかご縁がありそうだ」と先日の日記に書いたが、まさかこんなところで繋がりがあったとは。そのことが判明した後の朗読はそれまで以上に気持ちのいい空間で、チャンキーさんの影絵との共演もすごくきれいだった。
 憧れている人や物、好きな人たちとの繋がりが見えてくると、自分の立ち位置もすこし確認できるような気分で、今のところ大丈夫。と言い聞かせられる。

TRAVEL WRITING






 雑誌Coyoteの最新刊が出ていた。本屋で「今、旅を書く」と書かれたその表紙を見つけたのは、ちょうど名古屋での自分の展示"MAYBE AMERICANS"がやっている頃だった。パラパラとめくると、ロバートフランクの写真がいくつも使われていた。前にも特集があったし、この雑誌の作り手たちはロバートフランクが好きらしい。すぐに僕は、数ページ使わせてもらってMAYBE AMERICANSの内容を纏めて載せられたら、と思った。載ってもいい気がするけどなあ、となんとなく悔しさみたいなものも同時に。もっとも、原稿を売り込んで行くことも何もしていないのだし、Coyoteに寄稿するなんて簡単に実現することではないのはわかっている。
 まだ少ししかちゃんと読み進められていないけど、最後の方のページをめくってみたらライ・クーダーの小さな記事があった。その中に、「ライブやスタジオが終わった夜、『こんなサウンドを誰が必要としているんだ』とプロデューサーに言われることがある。そんな時、僕は立ち止まってよく考え、想いを留めるようにこう答えるんです。『僕は必要としているんだ』と。」という彼の言葉がある。うん、と心で頷き、そしてさらに認めてくれる人たちだって、数は少ないかもしれないけれどちゃんといることを思い出す。先日までの展示会場での芳名帳を見返す。
「抑制の利いた写真に、旅人というか、異邦人の視点、旅で感じる距離感が切り撮られているようで、はっとしました。」
知らない誰かからのこのコメントがたまらなくうれしい。まだ始まったばかり。

J-COOKという居場所

暮しの手帖63 4-5月号「彼女のチカラ」

 敦子さんは僕と同じあっちゃんというあだ名で、そうでなければまた少し付き合い方も違っていたかもしれない。三年前に初めての個展を東京の神宮前/外苑前、TAMBOURIN GALLERYで行ったときに敦子さんと知り合うことができた。フラッと立ち寄ってくれた"近所のお母さん"という印象を受けたのは、間違いなくエプロンを付けたままだったからだろう。そしてもちろんその時は、あんなにいいカフェを営んでいる人だとは思いもしなかった。まあ近所のお母さんというのは、それはそれで正しいのだけど。
初対面の近所のお母さんは、僕の作品もちゃんと観て、感想も聞かせてくれて、色んなことを知っている人なんだ、というのが伝わった。そうしてすこし言葉を交わした後には「この人は絶対おもしろい人だ」という気がして、改めてそういうことに気付くと、エプロンも含め、服装や話し方、その雰囲気にセンスの良さを感じた。ギャラリーの濱口さんから、敦子さんが近所でカフェをやっていると聞き、コーヒーだけだったかランチを食べに行ったのが、僕の初めてのj-cookだった。友人が来るとコーヒーを飲みに行ったりランチを食べに行ったりした。当時、東京のほとんど知らない場所に一週間出て来た僕には、そんなふうに友人を気楽に連れて行けるカフェは大きな存在だった。
 翌年から神奈川に暮らすザッツとの付き合いも始まり、関東に出てくる機会も増えた。当たり前のように彼女にとってもお気に入りの店になり、東京に出る度に、いつからかその日の行程に「j-cookに寄る」ことを自然と入れるようになっていた。通うごとに敦子さんとの距離もより近くなっていき、それでも近寄りすぎないちょうどいい距離感を保ってくれる姿勢が、さらに居心地のよさを与えてくれた。そしてそのラインを少しだけ越えたのが今年の初めだった。小さなホームパーティーに呼んでもらえたのだ。そこでは人生の先輩方との出会いがあり、ビールとワイン、そしてj-cookのシェフであり旦那の年秀さん(トシちゃん)の料理をつまみに食べる贅沢な夜だった。気持ちよくすこし酔っぱらった。トシちゃんとはそれまで毎回、店に入ったときと出るときにすこし会釈を交わす程度だったので、みんなと話しながらニコニコしている様子が見られてうれしかった。まだ僕はあまり話ができていないけど、トシちゃんとの距離感はこのくらいがいいのかもしれない。なんて。そんなのは嘘。ちゃんと話ができたら絶対におもしろいことは知っている。その時までは、あの会釈が心地いい。
 昨日は夕方から青山エリアに出掛けたのだけど、時間が遅くてj-cookには寄れなかった。(日曜日は閉店時間がすこし早い。) 夜は、先週名古屋まで展示を観に来てくれた東京の友人と会った。ご飯を食べてコーヒーを飲み、先週会場で買うと言ってくれた作品を引き渡した。(ありがとう!!) その友人と去年はじめて東京で会った時に待ち合わせたのは、j-cookだった。去年から神奈川に越して来て、東京にもこうして月に一,二回出て行くようになっている。j-cookに通えるのは二か月に一度くらいだけど、気分だけは常連客だ。これからもその場所が変わらずあり続けてくれることで、東京に出ても僕は自分のリズムをつくっていける。

CLOSING PARTY

ブラジルコーヒーin金山/名古屋, April 14, 2013




 4月14日日曜日の夜は、世界で一番幸せな場所にいて、世界で一番幸せな男だった。自分の朗読は本当に下手だし、緊張して最初の挨拶も最後の挨拶も、それはそれは恥ずかしいものだった。それでも、僕らしくてよかった、ちゃんと伝わってきた、なんて言って見守ってくれる仲間たちがいた。
 2年前のTribal Artsでの個展オープニングパーティで、僕が最初の挨拶をした直後にウェプシーズが爆音のブルースで会場を盛り上げてくれた。それがたまらなく爽快だったことをすごく憶えている。今回も、僕が朗読の前半を終えるのと同時に爆発してくれた。ロンサムストリングスのみなさんも楽しんでくれていたし、僕の友人たちも口々に、いいねいいねと言って体を揺らしていた。ウェプシーズにはこれからもずっとお願いしたいくらいだ。そして、お願いしたら間違いなくよろこんで、ご機嫌なブルースでこれからも僕を踊らせてくれる、と知っている。
 半年前に電話口で聞いた「ロンサムストリングス」というバンド名。ラジオから流れてきたというその心地いい音楽を、日本から電話でザッツが教えてくれたのだった。僕はアメリカにいた。電話口から聴こえてきた音だけでもう大好きになり、旅行中、パソコンでYouTubeなどを開いて何度も聴いていた。そして、今回そのアメリカ旅行中に撮っていた写真の展覧会が決まり、クロージングパーティーのことを考え始めると、すぐに決まったのはウェプシーズのライブだった。そして僕自身も、文章の朗読がしたかった。あと一組バンドを呼びたい......その時に僕の頭の中ではもう決まってしまったのだ。ロンサムストリングスに来てもらう!なんて、何のツテも無いのに決定していた。その直後に東京でのライブを観に行き、ますますイメージは膨らみ、桜井芳樹さんに宛ててその気持ちを伝えた。そしていくつかのやり取りの末に、ついに現実になってしまった。メールが返ってくる度にドキドキしながら開いていたことを思い出す。桜井さんからは夜中と朝方の間くらいの時間に返事が来ることが多かった。
このことは今回の僕には本当に意味のあることだった。制作にもプラスに働いたと思う。こんなこと当たり前だけど、より一層「妥協できない」という気になった。ロンサムストリングスのメンバーにとっては、(もちろん一般的にも、)名も顔も知らない若い写真家、でしかなかった僕だ。そんな僕のイベントへ来てもらえることへの感謝の気持ちは次第に、「この人のイベントを選んで良かった」と思ってもらえるように頑張ろう。というモチベーションになっていった。というか「そう思ってもらえなきゃ悔しい!」という感じが強かったか。実際どう思われたかはわからないけど、僕はそのおかげでやり切ることができた。やり切ることができたので、きっと少しは認めてもらえたんじゃないか、とも思える。
 そして迎えた4月14日日曜日の夜。世界で一番幸せな夜。夢に見ていたものを目の前にしたら、そこはもっと夢の中のようだった。イベント終了後に桜井さんとすこし話した。興奮も落ち着いてきていた頃だった。もう本当に満足しているということを伝えると、「これで満足しちゃいけませんよ」という言葉が返って来た。「これをスタートにしましょうよ」と。
 翌日、昼前にブラジルコーヒーに行ってコーヒーを。展示は、前夜のイベント後に搬出していた。マスターとママさん、亀ちゃんが心地いいいつものブラジルを営業していた。(以前働いていたので何人かのスタッフとは仲良し。) すこしするとロンサムクルーが置いていた機材を取りに来て、そのまますこしお茶した。あの時のラジオがここに繋がっている、なんて大袈裟かもしれないけど、そんなことが起きた今、ロンサムの3人を(生意気ですけど)すこし身近に感じていたりする。またこうした形でお会いできることを願っているし、きっとそうなると信じられる。だからまたやり続けていける。
再び神奈川へと向かう前の夕方、実家へ寄って愛犬よねの散歩をした。散歩から帰ると玄関までコーヒーの香りが漂って来ていて、リビングへ行って母と兄に合流した。母はすぐ出掛け、兄とすこし話し、駅まで送って行き、僕は東へ車を走らせた。去年の秋からオーストラリアにいる彼が今回、ちょうど一時帰国していたこともうれしかった。
 昨晩はなんと、ザッツが仕事帰りにロンサム原さとしさんのバンジョー教室に参加した。実は原さんとは割と同じエリアで暮らしていることも分かったり、なにかご縁がありそうなのだ。
 まあ、そんなこんなでちょっとしたひと区切り。こんなのを着々と続けていけばいいんだと信じて。「これをスタートにしましょうよ」という言葉がやさしく響いている。
 

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 今回展示に足を運んでくださった方、クロージングパーティーに参加していただいた方、本当にありがとうございました。特に最終日のあの感じは、僕は名古屋でしかできません。またやりましょうね。何度でも。2週間の展示と、最高のエンディングをありがとうございました。それと、最終日にzineもたくさん買っていただけたし、おかげさまで作品もいくつか売れました。すこしずつ、この選んだ道を歩いていきます。これからもどうぞよろしく。

 ライブ中に絵を描いてくれていた画家であり友人の、横井彰くん。リアルタイムで書き上げた絵、そして描いている時の横井くん自身、相変わらず最高だね。

ブラジルコーヒー in Kanayama, NAGOYA







名古屋は金山、ブラジルコーヒーでの展示が始まって三日が経つ。初めての個展を東京でやった時は期間中ずっと関東に滞在して毎日ギャラリーに行ったし、その後地元での二回の展示は気軽に展示会場でお茶をして友人とよく会ったりしていた。なので自分の展示が行われている場所から離れて暮らしていると、すこしだけ変な感じがする。その分、名古屋で自分の写真が人の目に観られていることを"想像"して、今までと違う楽しみ方をしているような。三十一日の夜は遅い時間から搬入作業に取りかかったので、念のため寝袋も持参していた。だけどそれを使う必要はなくて、結局作業が完了したのは開店十分前くらいだっただろうか。徹夜なんていつぶりだろう。朝イチの出勤はマスターとママさんで、スペシャルなモーニングをいただいた。(僕は名古屋に居た最後の二年間ほどブラジルで働いていたのだ。) ここに
載せた写真はその朝、開店後のブラジルコーヒー。平日の朝、仕事前に喫茶店に寄るサラリーマンの目に壁の写真はなかなか映ってはいないだろうけど、こんな風景こそがブラジルでの展示の醍醐味のひとつかもしれないな、と、厚切りのトーストを頬張りながらうれしく感じていた。そして昼過ぎには実家に寄って、日に焼けそうなくらいあったかい陽射しの下、縁側で愛犬よねと昼寝を。中学生のころから飼っているよねも気付けばいい歳で、今回初めて「動きがちょっとスローになった」という印象を受けた。やっとおばあちゃんのような名前に追い付いてきた感じ。何度も「ネム」と呼び間違えてしまったことを申し訳なく思いながら、また来週末来るでね、としばしの別れ。
 名古屋でもっとゆっくりしていたかった。コーヒーを飲みながら、A定や鉄ナポを食べながら、誰かが自分の写真に目を留める瞬間を眺めることができたら。まあでも休んでばかりはいられないし、もちろん、家に帰る楽しみだって大きい。数日間のハワイ旅行から帰ってきていたザッツの、土産のコーヒー豆で淹れたコーヒーを飲んだ夜。彼女はもう横になっていて、ネムは部屋を飛び回っている。
 観てもらいたい人たちにちゃんと観てもらえますように、とまずは願って。来週末の土日が楽しみだけど、同時に、まだまだ来ないでほしいような。