8/19/2012

William Claxton



 晴れ。
 一昨日からまた仕事が始まった。お盆休みは森戸の盆踊りくらいにしか出掛けなかった。寝正月ならぬ寝盆。けれどなんとなく満足できているのは、きっと来月のアメリカ行きのことを考えたり、その他いろいろ、頭や心の中のことにゆっくり時間を使えたからだろう。明日からの一週間でついに働き納め。夏休みがまた始まり、そして長い秋休みへとつづく。
 昨日見たDVD「JAZZ SEEN~カメラが聴いたジャズ~」という映画に大満足。William Claxtonという写真家のドキュメンタリー映画だ。去年くらいからジャズが好きになってよく聴いているが、聴くこと以外に、ジャズのCDジャケットにすごく惹かれる。ある意味では、聴くこと以上に惹かれる。モノクロの写真に、シンプルなフォントのタイトル。モノクロ写真のかっこよさが思い切り引き出されていると思う。William Claxtonはそんなジャズミュージシャンたちの写真を撮りつづけて来た写真家だ。今まで知らなかったが、一気にその写真とスタイルに魅せられてしまった。早速amazonで写真集を購入した。届くのが待ち遠しい。映画のラストでの本人の言葉にウンウンとうなずいた。
「カメラを使わずにすめばいい。私と被写体を隔てるものだからだ。異質な感じがする。できれば互いに向き合って、瞬きだけで表情の変化をとらえたい。」- William Claxton
 そしてカメラを使ってそれができる、というかできていると思わせる写真を撮れるのがぼくが目指すところの、本物の写真家だろう。ぼくの場合は、あまり真っ正面で向き合った写真を撮らない。できればカメラを向けていることに気付かれないうちに撮ってしまいたい。そうしないとカメラに気付いているその人になってしまうから。ぼくが目を惹かれた瞬間のその人をなんとか写し取りたい。とは言いながらも、ぼくが撮っているからこそ、ぼくとその人の関係まで写ってしまうような写真もある(いい意味で)。やっぱりそのどちらもが写真家の個性になっていって、そうしてスタイルがつくられていくのだろう。今やれるのはどんどん撮ること。たくさんシャッターを切るというよりかは、シャッターを切る瞬間をたくさんつかめるように目を鍛えるというような意味で。もちろん数もたくさん撮っていくのだが、そういうことを考えたときに思い出す、ある友人が前回の個展時にノートに書いてくれた言葉がうれしい。「ーーー。でも、サムライのように、ここぞという時にしかシャッターを切っていないよね。そこにあっちゃんらしさを感じとりました。」