旅をする本


 晴れ。まだまだ暑いが、今は窓から風が吹いて来てきもちいい。いよいよあと10日で旅がはじまる。その前に、晩夜行バスで愛知へ帰る。会いたい人に会ったり、荷物をまとめたりするための1週間。
 19歳の頃、きっとその辺りから性格というか価値観、人生観などが変わりはじめたと思う。そのきっかけになったもののひとつで、個人的に思い入れのある一冊の本を大手古本チェーン店で見つけた。それを手に取り裏表紙を見たら、バーコードの上に二枚重ねて値札シールが張られていて、上のシールは「¥105」とスタンプされていた。いつか誰かへの贈り物にしたいと思って買って帰ったその本は、数カ月の間僕の本棚に置かれていて、今日久しぶりに手に取った。「¥105」のシールを慎重に剥がしているとその下に「00」が見えて来て、すこしだけ息をのんでさらに剥がすと「7」が見えた。それも一緒にゆっくり剥がした。大した跡は残らず成功。なんとなく子どもの旅支度を手伝ったような気分。よい旅を、と8月が終わる日に送り出す。

手塚くん

 晴れつづける。お盆休み中にあまり日に焼けなかったのですこし皮がめくれて、そしてまた仕事が始まって日に焼ける日々。お風呂ですこしひりひり。
 小学5年生の時だったと思うが、その年に急に仲良くなった友人がいる。彼は手塚くんと言って、運動がよくできて、体格がよく、恥ずかしがり屋で、しかし気の強い男だった。ぼくは彼のことを転校生だと思っていた。なんせ小学5年生まで全く彼の存在を知らなかったのだ。それは今思い返しても不思議な話だ。しかも家も大体同じ方面で、帰り道は途中まで一緒に歩いていけるようなところに住んでいたのに。中学生になってからは学校の外でもよく一緒に遊び、サッカー部だった僕らは部活が休みの日でも近所のグラウンドで練習したりした。
 手塚くんは男らしいというか、頼れる男だった。怖いものが無いような、そんな雰囲気だ。中学生の頃僕らは友人たち数人で、近所のおばさんがやっていた小さな学習塾に通っていた。たしか夜9時までやっていたが、その帰りに僕は暗い夜道が怖くなって、今度ジュースおごるから、と言って家まで付いて来てもらったことも一度あった。恥ずかしい話だ。
 そんな彼はなかなか難しいところもあって、理由も分からないままキレられて嫌われるなんてことが何度かあった。そして彼との最後の付き合いだと記憶しているのは、中学3年生の頃、サッカー部の練習中の出来事だ。僕はキャプテンをつとめていたこともあって、当時サッカーには本気で取り組んでいた。まあ簡単にいえばその気持ちに温度差があって鬱陶しかったのだろう。やる気の無いプレーをしていた彼に注意をした後だった思うが、小柄だった僕は次にボールを持った時に、簡単に吹っ飛ばされた。その後どんな展開になったか憶えていないのだが、その日が手塚くんと直接的に関わった最後の日だ。その後も言葉を交わしたことが無い訳ではないが、お互いに気を遣っていて、そしてお互いにそれを感じながら気まずいまま、中学校を卒業してそれきりだ。
 あんなに仲の良かった人と全く付き合いが無くなる。あんなに仲の良かった人をいつの間にか忘れる。そして、全く想像もできない出会いがまたある。
 僕は手塚くんが今どうしているのか、そんなに気にならない。けれど、こうしてかつての友人のことを思い出して、自分が過ごした過去に思いを向けてみると、なんだかちょっとうれしい気持ちになった。

 去年cawaでの個展のオープニングパーティーに合わせて行ったポエトリーリーディングにて読んだもの、をすこし書き直したもの。さっき書いた「いつの間にか忘れる」というのもすこし訂正しなければならない。記憶とか経験の積み重ねの下敷きになっているだけで、こうやって奥の方にちゃんと残っているのだから。

William Claxton



 晴れ。
 一昨日からまた仕事が始まった。お盆休みは森戸の盆踊りくらいにしか出掛けなかった。寝正月ならぬ寝盆。けれどなんとなく満足できているのは、きっと来月のアメリカ行きのことを考えたり、その他いろいろ、頭や心の中のことにゆっくり時間を使えたからだろう。明日からの一週間でついに働き納め。夏休みがまた始まり、そして長い秋休みへとつづく。
 昨日見たDVD「JAZZ SEEN~カメラが聴いたジャズ~」という映画に大満足。William Claxtonという写真家のドキュメンタリー映画だ。去年くらいからジャズが好きになってよく聴いているが、聴くこと以外に、ジャズのCDジャケットにすごく惹かれる。ある意味では、聴くこと以上に惹かれる。モノクロの写真に、シンプルなフォントのタイトル。モノクロ写真のかっこよさが思い切り引き出されていると思う。William Claxtonはそんなジャズミュージシャンたちの写真を撮りつづけて来た写真家だ。今まで知らなかったが、一気にその写真とスタイルに魅せられてしまった。早速amazonで写真集を購入した。届くのが待ち遠しい。映画のラストでの本人の言葉にウンウンとうなずいた。
「カメラを使わずにすめばいい。私と被写体を隔てるものだからだ。異質な感じがする。できれば互いに向き合って、瞬きだけで表情の変化をとらえたい。」- William Claxton
 そしてカメラを使ってそれができる、というかできていると思わせる写真を撮れるのがぼくが目指すところの、本物の写真家だろう。ぼくの場合は、あまり真っ正面で向き合った写真を撮らない。できればカメラを向けていることに気付かれないうちに撮ってしまいたい。そうしないとカメラに気付いているその人になってしまうから。ぼくが目を惹かれた瞬間のその人をなんとか写し取りたい。とは言いながらも、ぼくが撮っているからこそ、ぼくとその人の関係まで写ってしまうような写真もある(いい意味で)。やっぱりそのどちらもが写真家の個性になっていって、そうしてスタイルがつくられていくのだろう。今やれるのはどんどん撮ること。たくさんシャッターを切るというよりかは、シャッターを切る瞬間をたくさんつかめるように目を鍛えるというような意味で。もちろん数もたくさん撮っていくのだが、そういうことを考えたときに思い出す、ある友人が前回の個展時にノートに書いてくれた言葉がうれしい。「ーーー。でも、サムライのように、ここぞという時にしかシャッターを切っていないよね。そこにあっちゃんらしさを感じとりました。」

大きな母親

 朝から雨が降ったり曇っていたけど午後から晴れてきた。明日は葉山、森戸の浜の盆踊り。!


 去年の秋に発刊された雑誌TRANSITの14号はアメリカ西海岸特集だった。本屋で見掛けたときにすぐに買ったのだけど、パラパラっとしか目を通さず、すこし目についた部分だけ読んでずっとそのままだった。先日思い立ってやっとそれぞれの記事もすべて読んで、ひとつ特に心に残ったものがあった。「カリフォルニアの、とある人生」と題されたその文章はSEAN LOTMANという人が書いたもので、翻訳にMasayasu Takahashiとある。「信じていたものが、がらがら音を立てて崩れて行った。いとも簡単に。がらんどうになったぼくは、まったく信じていなかった弟と旅に出た。」という序文が添えられて文章ははじまる。リーマンショックの影響でニューヨークでの優雅な自慢の生活を失い、婚約者にも去られてしまった男はまさにすべてを失い、母親の暮らすロサンゼルス郊外の家に転がり込んだ。それまでの暮らしと目の前の現実とのギャップに気力を失っていたところに、ヒッピー風の生き方をしている弟が顔を見せる。実家からしばらく北へ上がって行ったところ、サンタクルズにある小さなオーガニックファームを営んでいる弟の、お金持ちになる見込みのない生活を理解出来なかったが、その弟に農場に誘われて、数日間寄り道をしながら旅をする。その先々で弟と同じような価値観、つまりお金には重きを置かず、自由でリラックスしたライフスタイルを選んでいる弟の友人たちに会ったりもして、そんな今まで付き合うことの無かった人々と心地いい時間を過ごすうちに男の価値観がすこし変わっていったというような話だ。いい文章だからほんとはこんなふうに要約したくはないのだが。出発して早々、男は弟に「もっと稼ぎのいい仕事に就いていたら、母さんに金銭的な援助をしてもらわなくて済んだんじゃないか」と言うのだが、それに弟はあえて反論はせず、代わりに言った言葉が、それ以来ぼくの心にも残っている。
「ぼくたちの人生の手助けをすることは、母さんにとってもうれしいことだし、それに、母さんにもしものことがあれば、たとえどんな状況であれ、すぐに駆けつけることができる。」
 このセリフを言えるのは本当に幸せなことだ。いい親を持つ子どものエゴと受け取る人ももしかしたらいるだろうか。ぼくは、ぼくの兄も姉も、母親からのどうしようもなく大きな愛を感じている。ぼくらが彼女の子どもだから。それはもう揺るぎないもので、そして同じようにぼくら兄弟も、母親を誰よりも尊敬している。上に書いた文章ともすこしかぶるが、ぼくの兄はそれこそヒッピー風の生き方をしている人だ。その時々に一番楽しいと思えるものに取り組み、ここ数年は仲間と田んぼや畑で作物を育てている。今は実家の一部屋をアトリエに改造して、ガラスをやっている。だがやっぱりお金はない。そしてぼくはと言うとお金がないのに旅行をしたり、個展を開いたり、お金のかかるアナログで、お金にならない写真を続けている。今年になって初めてフリーターではなく会社に入って働いているが、未だにまだまだ甘えている部分はあるし、今までに借りていたものはまだ借りっ放しという状態。けど母親は「好きなことをやって夢を見て活き活きと自分のやりたいことをやってくれていることがうれしい」なんて言ってくれている。ほんとにどうしようもない、なんて言葉を使いたいくらいの愛情だ。きっとぼくらがこのままゆるく生きていても、心配はするだろうが支えつづけてくれるだろう。もちろん心配をかけず、金銭的にも自立して生きて行くことを目指すが、今まだ完全にそうはなれない自分の尻を叩きながらも、雑誌で読んだそんな言葉が心に残った。
「ぼくたちの人生の手助けをすることは、母さんにとってもうれしいことだし、それに、母さんにもしものことがあれば、たとえどんな状況であれ、すぐに駆けつけることができる。」
 上に載せた写真はその記事の中での、弟の友人たちと砂浜でくつろいでいるところ。撮影は稲岡亜里子というカメラマン。

鶴間ディープタウン

 雲も多いが晴れている。お盆休み、五連休のスタート。
 おとついオアシスでのナミさんのライブを観に行けなかったことがやっぱり気持ちのどこかに引っ掛かっていて、ネットで調べたら、大和市鶴間駅の近くにある飲み屋で昨晩もライブをすることを知り、仕事後に行って来た。帰り道にすこし遠回りすれば寄れる場所だった。鶴間駅の辺りへは初めて行ったが、なかなかディープな町だと知る。多国籍な料理屋がちらほら見え、小さな飲み屋がちょこちょこある。時間に余裕もあったので、よさそうなタイ料理屋へ入った。タイレストラン、リナ。今まで入ったことのあるタイ料理屋で一番家庭的なゆるい雰囲気のお店で、とても気に入った。先に到着した相方が入り口のドアを開けようとしたら鍵がかかっていて、ちょうどそこに「買い物して来たから大丈夫」とタイ人のおばちゃんが帰ってきたそうだ。その後合流してから店に入って席に着くなり、「風呂行った」と言って来て、なんのことかよくわからなくすこし間が空いてから「風呂行ってまだ帰ってこない。娘。」と。思わず笑ってしまう。それから「何か食べたい〜?」とか、注文しようか迷っていたら「それはつくれるけど〜...今日はちょっとねえ...」とかニコニコしながら話すおばちゃん。お客も僕ら二人だけで、そんなゆるい雰囲気の中お腹いっぱい食べていたら、なんだか今晩の目当てがここに来ることだったかのような気になってしまい、気がつけばライブがはじまる時間になっていた。小田急線の線路沿いをすこし歩いて一本住宅街を入ったところに、会場となる菩南座(ボナンザ)という小さな音楽バーと言ったらいいのだろうか、音楽好きな初老の男性がやっている飲み屋はあった。客席の広さは四畳半。そこにお客が四人、ひとりはナミさんの身内の人だったかも知れないので、三人。僕らを含めると五人。そしてナミさんの横でギターを弾くお兄さんと、客席とそんなに変わらない広さのキッチンの中にいるマスター。太郎さんと呼ばれていた。キッチンは店の広さの割には余裕があったし調理器具もちゃんとあるように見えたが、壁には「酒以外無い!」と書かれた張り紙があった。それはどうやら本当で、ジンジャーエールか何かを頼もうとした相方には、ソフトドリンクは無いから何か買って来る、何でもいいんでしょと言って一分後、缶コーヒーとグラスが手渡された。壁にはたくさんのポスターとチラシが張られ、棚には何百という枚数のレコードが並べられていて、マスターの太郎さんは長く伸びた白ヒゲに白髪のロングヘアー、そして黒いキャップを深くかぶっていてずっと黙っている。もちろん店は薄暗い。そんな場所だ。念願のナミさんのライブは、連休前の夜としては出来過ぎというくらいの、気持ちのいい音と深い空気に満たされた時間だった。その狭さのおかげなのか、音がスーッと身体に入ってくる感覚だった。耳で聴くというよりも、ほんとうに身体の中に入ってくる感じ。いいライブではたまにその感覚を味わえることがある。あの場所であの人数の前で、あんなに出し切ったライブをしてくれたことが印象的だ。隣でギターを弾いていた、ポンさんと呼ばれていたお兄さんも最高だった。ライクーダーのBoomer's Storyのカバーを歌った時のポンさんのスタイドギターはどこか違う世界にトリップさせてくれるドラマチックな響きだった。ライブが終わり店の外へ出ると相方が「あのドア、どこでもドアだったよね?」と言った。神奈川県大和市鶴間。また新たなシーンを垣間見た。タイへも行ったし、その後のあの時間、ぼくらはどこへ行っていたのだろう。なんて、けどすこし本気で思っちゃうくらいの、浮遊感のある夜だった。僕はタイ料理屋のときからビールを飲みつづけていたということもあるが。

憧れの海辺

 晴れとくもり。風が吹いていて涼しかった。大きな脚立の上で刈り込みをしていたらすこし怖かったくらい。
 今晩は絶対にoasisへ行こうと思っていたが仕事後、会社の皆でご飯を食べようということになり断念。お盆や正月の休みに入る前にそういうことがあるというのは聞いていたが、まさか今日とは思わなかった。明日働けば五日間の休みだ。oasisでは今晩、なみさんこと南正人さんのライブが行われていた。名古屋で去年、対バンのEtt目当てでTribal Artsでのライブに行ったことがあるが、そのときに一気に好きになった人だ。なみさんの歌がoasisで聴けるなんてと、きもちいい夜を思い描いて楽しみにしてきたが残念。帰り道、車でなみさんの歌を流しながら走っていたら、いろんな気持ちがよぎった。このまま名古屋へ走って行きたいと思った。名古屋で自分がまた暮らすことはきっと無いと思うが、また名古屋で暮らしたいと思う。それは正直言って、強く思う。けど、それから帰り道にさらに強く思ったのは、海の近くで暮らしたいということ。この道を歩いていけば海に行けるとか、この坂を上ったところから海が見えるとか、そういう場所が好きだ。わくわくもするし同時に落ち着く。海辺の町にはずっと憧れつづけているし、自分には合っているとも思う。そしてそんな日はそう遠くない。かもしれない。
 すこし前に書いた"えいちゃん"から言われたことで思い出したことがひとつある。「アルバイトもいいけど、一回就職するのもいいのもいいかもしんない。一年だけでもいい。」今月で辞める今の植木屋での仕事は、就職するつもりで始めた。結局長くは続かなかったから社員になることは無くアルバイト契約で終わるが、初めて就職しているのと同じように働いている。別にえいちゃんのアドバイスを聞いて就職することにした訳ではないが、あのときに言われた言葉の意味が最近わかってきた気がする。実際にこの八か月働いてきた今、学べたことはなんだろうかと考えると、それは植木を扱う上での知識と技よりも、仕事に対する姿勢とか、人と働くということ、そして現実世界を知るということだったと思う。この生活をたったの八か月だけでもできたことの意味を感じる。ここを知った上での、これから先のこと。今までよりもっといろんなものを見て歩いていけそうな気がしている。

憧れの朝

 くもり。朝起きた時はすこし肌寒いくらいの涼しさで、昼間も仕事をしていても楽だった。
 昼の休憩で十分間ほどだが昼寝をする。別にそのおかげでスッキリすると感じたことは無い。弁当を食べた後に大きな木の下の木陰に腰掛けたり、車に乗ってシートを倒して休んでいるうちに眠たくなってきてすこし寝て、携帯電話でセットしておいたアラームに起こされる。正直、スッキリどころか午後の仕事のスタートはすこしぼんやりとしてしまう。今日は特に昼寝の寝起きが辛かった。寝不足が原因だということはわかっているのだ。調べものをしたり、半分趣味のようになって来てしまっている物件探しをしたり、あとこの日記のようなものを書くこともそうだし、ここのところ遅くまでPCを触る日が多い。なんとなくPCは夜触るもの、という感じになっているのを朝にシフトしていきたいが、朝がすでに自分としては早いから、今以上に早く起きることがなかなか出来ないでいる。朝への憧れはずっと持ちつづけている。そろそろ自分の番がくる頃かもしれないというふうにも感じて来てるんだけど。
 先月茅ヶ崎の駅前から海岸方面へ歩いていたときに、八百屋の軒先での若い男性客とさらに若い男性店員とのやり取りが気持ちよかった。「サニーレタスって、あります?」「サニーですね?ありますよ〜」午後から雨が降り続けていた梅雨明け前の夜だった。

個展は訓練だから

 晴れたりくもったり。くもっていてもかく汗の量はあまりかわらなかった。けどジリジリ日差しを浴びながら感じる厳しさは無い。
 前にも一度、永井さんと二人でコーヒーを飲みながら話をしたときのことを書いた気がするが、そのことはやっぱりフとしたときにたまに思い出す。そのときに永井さんが言っていたことで印象深く憶えているのが「個展は訓練だからどんどんやったほうがいい」という言葉だ。特に、訓練だから、という言い方をよく憶えている。それまで個展を開くということに対して、いつかしようとは思っているけどもっとしっかり撮り貯めてばっちり準備してからじゃないと、なんてまだ先の将来のことと思っていた。周りにいた写真をやっている知り合いたちの中で個展を開いたことのある人へは、なにかそれだけでおーすごいななんてどこかで思っていたし、個展イコール写真家としての成功、とまで言ったら大げさだけどもそれに近い、目標として捉えていたのだ。そんな個展を開くことに対して、平然と「訓練」だとか「どんどんやったほうがいい」だなんて言ってもらえたことはすごく大きなことだった。事実、その三か月後に初めての個展を東京で開くことにつながったのだ。そして自分の最初の個展を外苑前のTAMBOURIN GALLERYでできたことも自分には意味のあることだった。永井さんが仲間たちともう十何年も前に葉山でやっていたSUNLIGHT GALLERYのことは本で読んだり話を聞いたりして、当時の出来事を、大好きな映画のストーリーのように頭の中で思いを馳せ、眺めて来た。そのころの僕には、夢見て来たと言ってもいいくらいだ。そしてそのつづきのようなことをまたやろう、ともう一度つくったギャラリーがTAMBOURIN GALLERYだ。影響を受けて来た人たちのストーリーの中に自分も入っていきたかったし、なによりも永井さんたちのギャラリーで個展を開くことを自分の活動のスタートにしたかった。そしてこれからは「どんどんやっていく」ということ。
 夏になって永井さんのことを思い出すことが増えた気がする。

good night on the summer beach.


晴れ。日曜日ならどれだけ暑く晴れていてもきもちいい。どこまでも青くなっていく最近の夏の空に気分も明るくなれる。
 昨日はやっと、本当に遅くなってしまったがやっと職場の先輩三人に今月で辞めることを伝えた。普段直接たくさんのことを教えてもらいながら一緒に働いているのは社長ではなく先輩たちだから、真っ先に伝えるべきだったとは思うが、それだけに申し訳ない気持ちもあってなかなか言い出せずにここまで来てしまった。アメリカのことやその先のこと、楽しみなこれからの自分の生活を考えてワクワクしたり悩んだりしていても、どこかにまだ先輩に話していない後ろめたさも感じながらいた数ヶ月にとりあえず区切りを付けることが出来た。どんな反応をされるか不安で怖さもあったが、ゆっくりと聞いてもらえた。三十代半ばの先輩が二人と、僕より二つか三つ年上の先輩が一人いる。その歳が近い先輩は驚きながらも僕が話すことに時折ニコニコしながら、いいねいいねとうなずきながら僕の顔を見ながら聞いてくれた。二人の先輩はすこしうつむいて、ちょうど音楽を集中して心で聴くときのような感じで、たまにうなずきながら静かに聞いてくれた。そして一通り話し終えてすこし間を置いてから一人は「気をつけてやんなよ。怪我しないように」と一言。さっきの歳の近い先輩は「子どもできるまえに好きなことやんなよ〜」と笑って明るい空気をつくってくれた。そして駐車場まで歩いてゆく途中、もうひとりの先輩がやさしい言い方で「写真見せてね」と声をかけてくれた。そんな三人の先輩と働いています。
 その夜、行こうか迷っていた葉山森戸海岸の海の家oasisへはやっぱり行くことにした。職場からだと藤沢の辻堂から海岸線を走って行く。久しぶりに雨が降った午後、雨上がりの海岸線、土曜日の夜、どこかの祭りへ向かっているような人やお酒を持って浜へ歩いている人、僕と同じく海の家へ遊びに行くんだろうなという人たち。昨晩のoasisはかつてRocking Timeというかっこいいロックステディバンドをやっていた今ちゃんこと今野英明のライブだった。到着が遅かったので最後二十分ほどしか観られなかったが、それでも気付いたらステージ横で踊っていたくらい最高なライブだった。今ちゃんのライブも目当てだったが同時に昨日の夜は一人会いたい人がいたのだった。その人はさっちゃんと言って、四年前か、名古屋からの徒歩旅行をした夏に家に泊めてもらったり一緒に時間を過ごしてお世話になった人であり、マニスというオランウータンのキャラクターを通してオランウータンの保護、森林保護などへ繋がる活動をしているアーティストでもあるマルヤマサチコさんだ。それに建築家の旦那さんマルさんと娘のスモモ、三人とは二年ぶりに会ったが変わらない自然な雰囲気が心地よかった。さっちゃんとちゃんとゆっくり話が出来たのはあの4年前の夏以来かもしれない。お互いの近況とこれからのビジョンなどを話したが、変わらないところは変わらず、けど間違いなくいい方向に進んでいることを感じた。それは二人共に。そこに歳の差は関係なく、通じるところは同じ気持ちの持ち様で、改めてそうだそんなふうに自分のできることを続けていくことだ、と確かめ合えた感じ。きのうは何となく長居せずに帰った。たまにイベント会場なんかに行っても、友人たちに挨拶せずにそっと帰りたい時がある。昨日はそうだった。それは悪い意味ではなくて、何か自分の心が動いているときにそんな気分になるのかもしれない。
 久しぶりに会う人々に最近決まって驚かれるのは、僕が大人になったねということ。じぶんでいうのもなんだが。まあその大きな要因が、ヒゲとめがねだろう。今年からヒゲを生やしていて、2か月ほど前からはコンタクトを辞めてめがねで生活している。丸っこいめがねだからなおさら古くさい印象。こないだ職場に来ていたお客さんの小学校低学年くらいの子どもがバケツを持って僕のもとに来て、「おじさんここに水ちょうだいー」と言ってきた。おじさんと言われたのは初めてのことだった。そしてそのあと三十代半ばの年相応の見た目の先輩に「おにいさーん」と声をかけていた。小さい子どもから見ればやっぱりヒゲとめがねイコールおじさんなのだろう。今年は誕生日をアメリカで迎えるんだな。十一月で二十四歳になります。

barefoot blues

 晴れ。きのうおとついと比べたら雲が出て来て、太陽が隠れるとそれだけで仕事がグンと楽になる。
 Tシャツ焼けが進む。植木屋という仕事上、枝に引っ掻かれたり虫の問題とかがあるからできるだけ長袖の作業着が望ましいが、さすがにそんなの我慢出来ず半袖のTシャツで仕事をしている。だからきれいに半袖のところで茶色と肌色に分かれる。タンクトップで出歩けないなあなんて、そんなことを気にしてしまうが、それはまだいい。もっと僕が気になってしまうのは足だけが白いということ。普段、四月から十二月のはじめ頃までビーサンで過ごす自分にとって、ビーサンで過ごせる日が週一日だけというのはすこしツライ。しかも仕事中は靴下・長ズボン・地下足袋の三つにふくらはぎまでを包まれているのだ。八月になってもビーサン焼けしていないなんて、なんだか夏に置いて行かれているようで、すこし悔しさまで感じてる。積極的に日焼けしたい!なんて思わないが、黒くなっていると夏を満喫できているような気になる。夏に対してはぼくはすこし特別な思いがある。徒歩旅行をしたときもビーサンでは無かったが裸足にサンダルだったし、あのときはさすがにデメリットも痛いほど感じたが、そんなこと含めてもやっぱり、できれば毎日ペタペタ裸足で過ごしたい。

coffee blues

 晴れ。ここのところ空が本当に青い。そして昼間に眠くなる日も続いてる。
 最近自分で淹れる珈琲があまりおいしくない。最近というか結構しばらく納得のいく珈琲を淹れられていない。そしてそれを珈琲豆屋が変わったせいにしている。名古屋に居た時は決まって注文していた自家焙煎の珈琲豆屋があった。正確には名古屋の隣の僕の地元、春日井市にある。注文してから焙煎してくれるので鮮度は最高で、お湯を注ぐと、生きてるようにモコモコと膨らんで、それを見るのが好きだ。珈琲は飲むのはもちろんだが、淹れている時間もすこし特別なものだと感じている。だからできるだけ落ち着いた気持ちで淹れたいし、その時間はそれに集中したい。一服の心。それを感じながらいただきたい。なんていう考えを持つが、ガブガブ飲むような珈琲もあっていいと思う。珈琲に対しても人それぞれのスタイルがあることもなんとなく微笑ましく思える。何にも考えずこだわりもなくただなんとなく毎日珈琲は飲んでる、というのもいいなと思う。自分は違うというだけ。けど違う、そういえば時間帯によっても珈琲の意味は変わってくる。朝はたしかに僕もゆっくり味わうのは最初のひと口ふた口だ。なんでこんなことを書きはじめたかというと、夕飯後に淹れて自分の部屋に持って来た珈琲がおいしくないから。気持ちは込めた。ただ一回、淹れている最中に足下に置いてあった鍋を倒してしまい、それが意外とうるさくガチャーンと鳴った。それで気が散ったんだなんて理由にするつもりはもちろんないけど。思い返すと自分の珈琲の今までのベストは去年の12月だったと思う。はじめて珈琲屋として出店した小田原でのイベント時のそれは、まさに自分の理想とする「濃くて苦くなくて香ばしい珈琲」だった。何が変わってしまったのかと考えるとやっぱり第一に珈琲豆屋のことだろう。そしてもうひとつ大きいのが、生活の変化。去年とは全く違う生活をしていて、自分の内側にも変わってきていることがたくさんある。その人の内面も味にまで影響するような不思議が珈琲にはあると思う。ちなみにこのことを知っている人は少ないが、今も昔も、身内の間ではカフェオレも評判がいい。

えーちゃん,2011summer



 晴れ。涼しくなるようなことが言われていた今日、期待はずれで昼間はちょっとバテた。
 ちょうど一年くらい前、自分にとってはすごく意味のある夜があった。夜バイトを終えて、久しぶりに友人Hくんの家に行こうと思い立って行ったらその人はいたのだった。あだ名はえーちゃんで、簡単に言うとギター弾きで酒飲みのおじさん。Hくんは庭関係の仕事をしていて、えーちゃんは何かの職人さんだったと思う。途中からHくんが長電話をしていた間のえーちゃんと二人の時間、そのとき話していたことは今でもよく思い出す。彼はギターを弾きはじめた。それは本当にかっこよくてきもちのいい音で、夜にビールを飲みながらそんな音楽を聴けるだけでも最高、と思える時間だった。その夜が初対面だったが気付けば、僕のこれからのこととか、写真をやっていくということとか、そんなことを僕らは話していた。というか僕が相談しているようなカタチになっていた。彼が一番つよく言っていたことは「女を本気で好きになれ」だった。自殺したいくらい女を好きになれ。本気で愛して、本気で傷つく。写真家や絵描きにはそれは絶対肥やしになる、と。そして続けて、アーティストは自分の生活を切り売りする覚悟がければならない、とも言った。自分は歌詞が書けないからギターを弾くだけで、だからただのプレイヤーなんだ、と。けど彼の話とギターを聴けば、十分にその音には彼の人生が入っていることがわかった。
 写真は特に、生活しているから生まれてくるものだと思う。僕はそのスタンスでいたい。先日友人が写真家の藤代冥砂さんの写真集を見せてくれた。主に自分の奥さんを撮影した本で、「家に帰ろう」というタイトルだったか。家に帰ろう2という二冊目も出ていて、何度も見掛けたことはあったが、正直なんとなく興味を持てずにむしろ避けていた本だった。まだこないだはパラパラと見た程度だが、静かに感動した。写真に添えられる簡潔な言葉がとても豊かでしっくりきた。近いうちに手に入れてゆっくり見たいと思う。
 えーちゃんとはそれっきりだが、僕の中ではたまに思い出したい大事な存在だ。ここには書ききれないくらいたくさんの大切なことを伝えてくれた。それは本当にタイミングのいい出会いだった。愛知で次に展示をする時は絶対来てもらいたい。そのときの僕の写真を見てどう思うだろう。できればその感想は、またHくんの家でビールを飲んで屁をこきながら話してほしい。