6/24/2012

GOING UNDER GROUND

 基本くもり、たまに晴れ間。
 もう今ではほとんど聴かないけれど、たまーに本当にたまに聴くミュージシャンがいる。年に3回くらいだろうか。いま自分の聴いている音楽とはまたガラッと違うものだけど、その音は当時の思い出を一緒に持ち続けてくれているから、たまに聴きたくなって、ちょっとその頃の空気を感じられたりする。普段全く思い出さないようなことなのに、その音楽を聴くとしゅるしゅる思い出が膨らんでくるのはおもしろい。歌詞もやっぱり覚えてる。といってもその頃聴いていた2枚のアルバムしか知らないし、今のそのバンドの活動は全く知らない。音楽なり何なり、きっとほとんどの人にそういうポジションの何かはあるのだろう。
 それは中学生の頃、一時好きだった女の子が教えてくれたバンドだった。GEOで借りて来たそのバンドのCD2枚をMDにコピーしてずっと聴いていた。4倍速(4倍の容量になるんだったか)でコピーできるMDラジカセを買ってもらった。ちなみに今の自分の車はラジオとMDが聴けるが、4倍速でつくられたものには対応していなくて、当時たくさんつくっていたMDはほとんどどれも聴けない。それで困ることはなにも無いのだけど、昔聴いていた音楽をたまに流すことができたらおもしろかったかもしれない。そのバンドの2枚のアルバムだけはいまだにiPod、今ではiPhoneの中に消さずに残してある。昨日それを聴きながら帰り道を走って来た。音が聞こえたその瞬間からいきなり広がり出す思い出。GEOで借りたCDの歌詞カードの中にシールを貼って返却したら、後日その子がまさにそのCDを借りて、こんなの貼ってあったと笑い話になった。恥ずかしいがそのシールは当時好きだったサッカー選手ベッカムのシールで、その子もまたベッカムが好きだった。日韓ワールドカップが開かれる年で、日本は空前のベッカムブームの最中だったのだ。けど同時からみんなには「ワールドカップでブームになる前から好きだった」と、自分はずっとサッカーをしてきているんだし、世間のミーハーと一緒にしないでくれという自尊心をなんとか保とうとしていた。が実際はそう大して前から好きだった訳でもなく、当時たくさん出されていたベッカムの写真集を少なくとも3冊は買った。立派に波に乗っていた。きっとその付録かなにかのシールだったんだろう。自転車で走ってその子の家を通り過ぎる時のどきどき感や、その近くのコンビニに入る緊張感と安心感。コンビニの中にもしいたらどうしようという緊張感と、家の周りなんかで見つかったら勘違いされる!という恐れからとりあえずコンビニに逃げ込む意味での安心感。過去の自分の姿を少し離れたところから見ているようで微笑ましい。中学男子だっていろんな気持ちを抱えて生活しているのだ。自分の青春の思い出はどうしてもきゅんとしてしまう。青く思い出される当時の景色や空気、雰囲気。そしてその子に関連すること以外にも思い出してくる景色。中学校の体育館や廊下や下駄箱なんて思い出すことなんて無かったのに、やけに鮮明に見えてくる。渡り廊下で友だちにからかわれていた、実際に起こっていた光景。いい思い出でもなんでもないのにそんなことが思い出される。「青春」がなんで青と春なのか。知らないけど、青い春なんて、イメージが膨らむいい言葉だなと今更ながら思った。