脱深煎り


 晴れ。梅雨?
 今晩は首相官邸前で大飯原発再稼働決定の撤回を訴えるデモが行われていた。先週は4万5千人以上集まったというが今日はどうだったのだろう。行こうか考えていたのだけど、仕事が遅くなって8時には間に合わなかったから、珈琲豆を買って帰って、夕飯にコロッケをつくった。けど今になって、行けばよかったとすこし後悔。今日買って来たマンデリンはちょっと深く煎り過ぎだと思う。スタバのコーヒーみたいな後味。今から相方を駅まで迎えに行く。窓全開で夜風に当たりたい気分。

梅雨の晴れた日、夕方

 くもり気味の晴れ。
 夕方、自分の部屋で時間を過ごせるのはうれしい。あまりないことだけど、たまにそんな日があると、時間がゆっくり流れていると感じる。今日はスムーズに仕事が終わって、六時半ごろ帰宅した。まだ誰も帰っていなくて一人。そんなときは珈琲が飲みたくなる。そんなときも、か。とりあえず一杯淹れて、夕飯の支度をする前に一息つく。何となく今は音楽は流さない気分。たまに子どもの声が聞こえる。そろそろ夕飯の時間。そういえばこないだの日曜日も夕方は家でゆっくりしていた。昼間に前から頼まれていた家の生け垣をすこし植え換えて、夕方にすこし昼寝というか夕寝をした。梅雨なのに意外と晴れる日が多い。日曜日も暑いくらいで、けど夕方、部屋の窓を開けて、小さく音楽を流して布団に横になった時、きもちいい風が吹いていた。今までは(去年までは)ゆっくりする時間がもっとたくさんあったけど、割とがっつり働いている今、そんな時間がより一層きもちいい。名古屋で一人暮らしをしていたころ、引っ越すちょっと前にひとり友人が家に来たときのことを思い出す。彼は何か書き物をしていた。お茶でも飲みながら何か話もしていただろうか。大きな座卓を挟んで彼の正面に座っていたのも覚えてる。ぼくの右側にあった窓から夕日がきれいに入って来て、いい部屋だよねと呟いていた。冬だったから今よりももっと早い時間だった。
 お金が貯まったら会社を辞めてアメリカへ行くことは社長に了解してもらっていたけど、昨日あらためて八月いっぱいで辞めさせてもらうことを話した。あと二か月、もういちど気を引き締めてしっかり働こう。あっという間にその日が来るだろうな。夕方も、ゆっくりした時間を感じていたはずなのに、もう真っ暗になっている。車が行き来する音がすこし増えた。あと一口残っている冷めた珈琲を飲み干してご飯の準備。帰り道にお菓子を食べたから、あんまりお腹が空いていない。たまにやってしまう。夕方なんて思っていたらもうしっかり夜だ。

GOING UNDER GROUND

 基本くもり、たまに晴れ間。
 もう今ではほとんど聴かないけれど、たまーに本当にたまに聴くミュージシャンがいる。年に3回くらいだろうか。いま自分の聴いている音楽とはまたガラッと違うものだけど、その音は当時の思い出を一緒に持ち続けてくれているから、たまに聴きたくなって、ちょっとその頃の空気を感じられたりする。普段全く思い出さないようなことなのに、その音楽を聴くとしゅるしゅる思い出が膨らんでくるのはおもしろい。歌詞もやっぱり覚えてる。といってもその頃聴いていた2枚のアルバムしか知らないし、今のそのバンドの活動は全く知らない。音楽なり何なり、きっとほとんどの人にそういうポジションの何かはあるのだろう。
 それは中学生の頃、一時好きだった女の子が教えてくれたバンドだった。GEOで借りて来たそのバンドのCD2枚をMDにコピーしてずっと聴いていた。4倍速(4倍の容量になるんだったか)でコピーできるMDラジカセを買ってもらった。ちなみに今の自分の車はラジオとMDが聴けるが、4倍速でつくられたものには対応していなくて、当時たくさんつくっていたMDはほとんどどれも聴けない。それで困ることはなにも無いのだけど、昔聴いていた音楽をたまに流すことができたらおもしろかったかもしれない。そのバンドの2枚のアルバムだけはいまだにiPod、今ではiPhoneの中に消さずに残してある。昨日それを聴きながら帰り道を走って来た。音が聞こえたその瞬間からいきなり広がり出す思い出。GEOで借りたCDの歌詞カードの中にシールを貼って返却したら、後日その子がまさにそのCDを借りて、こんなの貼ってあったと笑い話になった。恥ずかしいがそのシールは当時好きだったサッカー選手ベッカムのシールで、その子もまたベッカムが好きだった。日韓ワールドカップが開かれる年で、日本は空前のベッカムブームの最中だったのだ。けど同時からみんなには「ワールドカップでブームになる前から好きだった」と、自分はずっとサッカーをしてきているんだし、世間のミーハーと一緒にしないでくれという自尊心をなんとか保とうとしていた。が実際はそう大して前から好きだった訳でもなく、当時たくさん出されていたベッカムの写真集を少なくとも3冊は買った。立派に波に乗っていた。きっとその付録かなにかのシールだったんだろう。自転車で走ってその子の家を通り過ぎる時のどきどき感や、その近くのコンビニに入る緊張感と安心感。コンビニの中にもしいたらどうしようという緊張感と、家の周りなんかで見つかったら勘違いされる!という恐れからとりあえずコンビニに逃げ込む意味での安心感。過去の自分の姿を少し離れたところから見ているようで微笑ましい。中学男子だっていろんな気持ちを抱えて生活しているのだ。自分の青春の思い出はどうしてもきゅんとしてしまう。青く思い出される当時の景色や空気、雰囲気。そしてその子に関連すること以外にも思い出してくる景色。中学校の体育館や廊下や下駄箱なんて思い出すことなんて無かったのに、やけに鮮明に見えてくる。渡り廊下で友だちにからかわれていた、実際に起こっていた光景。いい思い出でもなんでもないのにそんなことが思い出される。「青春」がなんで青と春なのか。知らないけど、青い春なんて、イメージが膨らむいい言葉だなと今更ながら思った。

a little break

晴れ。台風一過、暑かったけど風が吹いていたのはきもちよかった。植木畑をまわって倒された木をひたすら直す一日だった。
先週あたり、久しぶりの友人たちからの連絡がすこし続いた。なんとなく思い出したでメールしたわ、という言葉がきもちいい。来月きっとどこかの土曜日に休みをとって、土日で愛知に帰る予定。前回3月に帰った時は、ホジャで石川さんに会っただけだった。なんとなくいろんな人に会う気分ではなかったのと、実家の片付けが目的だったから。今回は会いたい人には会いたい。それ以外には婆ちゃんのお墓参りと、ヨネの散歩がしたい。ヨネは実家に暮らす柴犬。
今日帰宅途中で見掛けたバイクに乗ったあの人は、朝の通勤途中にもよく見るあの人だと思う。20代後半くらいの男性。きっとフィッシュマンズが好きだろうと予想している。その後、男子高校生が自転車を止めて、携帯電話かデジカメで夕焼けを写している前を車で通った。オレンジとピンクの夕焼け、モコモコの雲が光っていた。カーステからはEttが流れていて、渓さんのギターとさゆりちゃんの唄がそんな風景をさらにあったかく感じさせてくれたような帰り道だった。
仕事中はもちろん、珈琲を淹れていてもご飯を食べていても、今こうしてPCのキーボードを打っていても手がすこしシビレてくる。特に右手。スコップの握り過ぎだろう。珈琲を淹れてるときにシビレ出すのが一番気になる。一応その時間を大切にしているつもりだから。写真は日曜日のcoffee break.
 文字が小さいのと行間が広いのは何かの失敗。

sunny people

 梅雨の合間の晴れ。暑くてバテ気味、食欲はあるのでまだ平気。
 今週の頭は二日間仕事で葉山へ行った。正確には横須賀市に入っているが。ウェディングレストランの植木をうちの植木屋が管理していて、その手入れの仕事。といっても自分はもちろん掃除係のようなもの。そこへ行くまで、藤沢市辻堂から海岸線へ出て、それからはほとんど海沿いを走って行った。海が近付くにつれて、自転車や原付で波乗りに行く人がちょこちょこ見えて、植木を積んだトラックから眺めていた。朝7時過ぎ、今から行く人と帰って来る人。鎌倉に入って江の電が近くを走りはじめ、波待ちのサーファーや浜辺を散歩している人たちが見えてくると、なんとなく世界がすこしきらきら見える感じ。僕は海の近くで暮らしたい。ちょっと海まで散歩、が出来れば最高だし、せめて海が見える町に住みたい。葉山の海岸周りの道は狭いので山周りの道を走って行った。仕事で葉山に来てることに違和感を感じながら、友だちの家やお店の近くを通っては知り合いを見掛けないかきょろきょろしていた。誰かを見掛けられたら良かった。知り合いの普段の生活を見られる機会はなかなか無いから。それぞれの暮らしがちゃんとそこで行われているという当たり前のことを垣間見ることには興味がある。そんなこと知ることも無く続いたり変化したりしていく感じもいいんだけど。知らない人の場合は、その人の生活のそのシーンしか僕は見ることができなくて、その後ろの物語は何もわからないのだけど、それでも、たしかに今その人がそこにいる、そこで何かしている。そんな、自分と関係なく営まれている人々の生活。人のいない写真をぼくがほとんど撮らないのは「人の生活」が好きだから。人が入ると、たった一瞬のことであってもそこにはその人の生活が写っていて、そこに生活が入るとその場所に時間が流れはじめて、写真にもストーリーが生まれていくんだと思う。トラックからだと路上の人々をすこし上から見下ろすことになるので、余計に俯瞰的に眺められて、思い返すとそういうことを感じていた。
 夏がほんとにもうすぐ。人によってはもう完全に夏は来ているんだろう。そんなこともあって少しきらきらし始めてるんだろう。

すゞ子さんのこと

 晴れ、すこし曇りはじめた。
 今日、実家ではお婆ちゃんの一周忌が行われている。名前はすゞ子さん。近いうちに一度帰る予定なのでそのときにはお墓に行こう。お墓は実家の近くにあって去年はいつでも行けたのに、そういえば納骨して以来一度も行っていない。実家でずっと一緒に暮らしていたお婆ちゃんだから色々思い出すことはあるけど、元気だった頃の笑った顔と、晩年のどこか遠くを見ているような目が印象に残っている。写真学生時代にお婆ちゃんの写真集を作ったことがある。お婆ちゃんを主役にしたゆるい映画をイメージして、そのスチールを撮るように撮影した。写真集は自分でも満足いく出来だった。数冊作って親戚数人に送ったりして、もちろんお婆ちゃんにも一冊あげたら、しばらく枕元に置いて寝てくれていた。デイサービスにも持って行っていたらしく、それを見たお爺ちゃんお婆ちゃんの中には泣いてしまう人もいたなんて聞いた。今でも自分の展示会場に置いといて人に見てもらうといいコメントを頂ける。たまに、肝心のそのときの展示作品の感想よりもそっちの感想をもらったりすると、すこし悔しかったりもする。僕は特にお婆ちゃん子だった訳ではないし、むしろ子どもの頃は都合のいいように相手をしていた嫌な孫だった。今では想像もできないような話だが、小学生、生意気盛りのころに「クソババア!」なんて言ったことがある。そのときお婆ちゃんは怒ることなく「クソは要らんけどババだけもらとこか」と返してきた。生意気な小学生はそれに更にムカついただろう。やさしい人だった。写真集をつくってすこし経ってから、僕はまたお婆ちゃんを都合良く使ってしまった気もした。けど確かに僕らは少しの間、二人で写真撮影を楽しんで、そしてそれをモノに残した。そんな時間を過ごしたこと、そんな出来事があったことを思い出すと急にお婆ちゃんが恋しくなってくる。自分勝手な孫はこうやって良い話風に纏めようとするのだ。
 お婆ちゃんは僕ら孫が数日間出掛ける時、行ってくるねと言いに行くと毎回、泣きそうな声、表情になって両手で握手を求めた。孫たちにはそれは笑い話の種になっていたし、僕はその温かい気持ちをちゃんと丁寧に受け取ったことは無かった。お婆ちゃんの手は小さくて皮は薄くてしわしわで、いつも少しつめたかった。
 今一緒に暮らしていたらどれだけやさしくしてあげられるだろうと無駄なことを思う。無駄じゃないかもしれない。こんな気持ちになれた。遅いのは分かってるけどね、ありがとうお婆ちゃん。あの視線の先にいたお爺ちゃんと一緒にいることを願って。
 あっという間に夜になっている。さっきザアッと雨が降って来て、今はもう止んでいるのかな。

i'm just here.

 くもり。昼間は晴れのち小雨で雷も鳴った。前回、毛虫より怖いやつの存在を忘れていた。今日先輩が蜂に刺された。小さいアシナガバチだったからまだ平気そうだったけど。
 スケーターとは言えないけどスケボーが好き。サーファーだとも言えないけどサーフィンが好き。ヒッピーだなんてもっと言えないけど、彼らの生き方には興味があるし、実際多少の影響は受けてる。
 スケボーは小学校のころ親に買ってもらって、仲の良かった友だち4,5人とすこし遊んだ時期があった。大体家に帰ったらマウンテンバイクで遊びに繰り出していた僕らは、デッキを脇に抱えたりうまいことハンドルと一緒に掴んだりしてスケート出来るスポットに走った。僕の家は大きな坂の上にあって、まだスケートの危険性を知らなかった僕は坂道を、子どもにとっては相当立派なダウンヒルを滑り、経験者ならわかるであろう飛び降りるしか無い状況になった末に痛い傷を負ったこともあった。それからは近所の友だちの家の前の道路や、小学校の横の大きな公園の一角でスケートした。たまに大人の(小学生目線だから実際はもっと若かったかもしれない)お兄さんたちが来ていろんなトリックを練習していて、その人たちにオーリーまでは教えてもらった。そのあたりまではなんとなく覚えているのだけど、いつの間にか僕らはみんなスケートしなくなって、サッカーしたり野球したりTVゲームをしていた。その間わずか半年程度のことだったかもしれない。その後2年に1回くらいのペースでまたスケートしたい気になって、近所をプッシュでまわったり家の前でオーリーの練習をしたりしたけどやっぱり続かず、そんなことを繰り返して来たのだ。そして、僕のいろんな価値観が変わりはじめて来た19歳くらいの頃、それまで自分たちの目の前に、足下にあったただのスケートボーディングとは違う、様々なアーティストやスタイル、クリエイティブな文化を含んだスケボーを知って、一気に今までとは違う見方で興味が湧いてきた。
 サーフィンも19歳くらいの頃から同じような感じで興味が湧いてきた。それでもなかなか自分がやるきっかけをつくれずにいて、本気でやりたいと思うようになっていた21歳の夏、歩きとヒッチハイクで遊んでいた夏だったけど、おもしろいくらいに出会った人のほとんどがサーファーで、その中のひとりの友だちから板とウエットを貰えて、海に連れて行ってもらったりした。といってもその年も去年も海には数回行った程度で、今年はまだ行けてないし夏が来ても今の生活ではあまり行けそうにない。
 こう書いていると、なんだか中途半端で情けないなあとも思えてくる。スケーターともサーファーとも言えない。けどスケートカルチャー、サーフカルチャーにはとても興味があって影響を受けている。こんなに好きなのに実際には自分は大してその世界に足を踏み入れていないことへの負い目というか、かっこ良くないなあという思いは確かにある。けれど最近こういう考え方もするようになった。とりあえず今の時点で自分のバックグラウンドにあるものはどうしようもない事実で、だから自然に、これが自分ですと楽に胸を開いて歩けばいいんだというような。見栄を張らずにそんなに謙遜だってしない。そして僕はせめてひとつだけ、今の生業はどうであれ、自分は写真家であるということだけは目を見て言えるように生活していきたい。
 それと、自分はまだまだ若造であることを認めること。と同時に、若くても若いなりに哲学があるんだということも大切にしたい。