3/21/2012

佐久島のミカン

晴れ。昼ご飯の後に10分ほど昼寝をする。陽の当たるところにいるとジリジリ焼けていく感じがするようになった。
 仕事中にいろんなことを思い出したり、考えたりする。最近は名古屋、愛知の友人のことをよく思う。植木屋の仕事も歯を食いしばるようなタフなシーンが度々あるが、そんなときに林業をやっている友人のことを思う。Kちゃん、Sまん、そしてKくん。彼らは今頃もっと重い丸太を運んでいるかもしれない。ここよりもっと寒い山に入って行って伐採しているかもしれない。ぼくが愛知にいて、彼らをまだ近くに感じていたときはそんなに考えなかったことだが、離れると彼らの今の日々を知らない分、そういう可能性を想像するようになった。他の友人らも同じく。彼は彼女は、あの人は、今こんなことをしているかもしれない、という想像。畑で種を蒔いているかもしれない。珈琲豆が膨らんでいくのを眺めているかもしれない。厨房でコロッケの衣をつけているかもしれない。栄の人混みの中をスーっと自転車で走っているかもしれない。考えることが多過ぎて頭を悩ませているかもしれない。そんな友人たちを思うと、なんともいえない気力が湧いてくる。その想像が実際はどうなのかというのはどうだっていい。
 去年の末、友人の暮らす島へ遊びに行った。愛知県の三河湾に浮かんでいる佐久島という小さな島だ。連れて行ってくれたミカン畑で、ビニール袋にたくさん穫って来た。皮は硬くて色もムラがあったり、野性的なミカンという感じだったが、声が出るほど濃くて美味しかったのを覚えている。そこで穫って来たミカンの中で、小さくて葉っぱ付きのものをひとつ、鏡餅代わりに車のバックミラーに紐で吊るして帰って来た。春になろうとしている今もまだぶら下がっていて、もう乾いてしぼみ始めてきたがなんとなく捨てずにいる。水分は抜けていっても、そのミカンだけが持ち続けているものを感じていたいから。