杉江玲子個展「小さい石」




杉江玲子「小さい石」

2016/8/24wed - 28sun // 12:00 - 19:00
at 町の港 HATOBA (西荻窪)
ザッツこと、妻の玲子がようやく初めての個展を開催します。最近作っているものを改めて見せてもらった時、その小さい石たちは愛らしく、あたたかく、そっと眺めていたい存在がそこにあることに嬉しくなりました。
僕はお義父さんの畑の片隅に建つ彼女のアトリエでの制作風景などを撮影し、小冊子を作ります。
遊びに忙しい夏、短い会期ですが、どうかご都合つけて観に来てください。よろしくお願いします!
Finally my wife Reiko is having her first solo exhibition this summer! Please come by if you are in Tokyo!







LOGGER.CO.JP





ちょうど去年の今頃、茅ヶ崎の木材屋LOGGERの工房へ通い、彼らの仕事場を撮影していました。まだホームページを持っていなかった彼らが初めに手をつけはじめたのが、「自分たちの仕事場を撮ってもらうことで、自分たちがどんな雰囲気の中で仕事をしているのかということを示す」ことでした。僕としてもその提案が嬉しく、そして(大袈裟かもしれませんが)、そこからは彼らがどんなことを大切にして暮らしているのか、という価値観へも繋がる彼らの誠実な姿勢も感じられ、僕は撮影を続ける度に、彼らと交流を深める度に、一緒に仕事ができることを幸せに感じています。
その後も(まだすこしずつですが)彼らが内装材を提供した店舗などの撮影をして、いよいよホームページが公開されました。正直に言うと僕がここでの告知をしていなかっただけで、先の冬に公開されていました。
僕は写真係としてロガーの3人目の社員のような気持ちでいます。どうぞ今後とも、LOGGERをよろしくお願いします。

LOGGER.CO.JP

6/23/2016

色褪せない日



子どもの頃の懐かしい景色だったり、ある夏の日に旅先で見たような景色を何度も、何度も思い返す。これから先も何度も思い返す。そしてもう一度その景色を見たいと、いつか近い将来の日々に思いを馳せる。
夏が来ると思い出すことがたくさんあって、その分たくさんの夢を思い描くことになる。

6/15/2016

THE QUIET LIGHT



 先日初めて聴いたKaren Daltonというミュージシャンにすこしだけ思いを馳せる。と同時にアメリカという土地に思いを馳せている自分がいる。あの遠い場所で見た光が残っている。それは自分が見たものでもあるし、映画で見たもの、あるいは誰かの文章から想像したものかもしれない。その光はとても静かで、そしてなんだかすこし埃っぽい。そこになんとも言えない、どうしようもない憧れを抱いて思い出したり思い描いたりできるストーリーがある。そんなふうにその光が自分の中でまた瞬くとき、そこにはただの光景だけでなく幾重にも重なった自分のそれまでの思い出や気分が蘇る。また旅に出るのは、そんな静かな光を自分の中に集めていきたいからかもしれない。


'THE QUIET LIGHT'
sat.1.23 - sun.2.7.2016 at LOCAL optical shop, Yokohama
[Opening Reception] sat.1.23 20:00-22:00

LOGGER







I've been shooting photos for LOGGER these few months. More to come.


家族へと向かう旅



・7月3日金曜日
 先月の頭に、母の還暦を兄弟で祝うために帰省した。
 その朝僕は、妻を駅まで送り、そのまま海老名インターから東名高速に乗って西へ向かった。名古屋の隣にある春日井市が僕の故郷だ。車ですこし遠出するときは、その時の気分で何枚かのCDを旅のお供に持っていく。その選択が運転中の気分にぴったりくると、そのドライブは一気に気持ちがよくなる。そしてその朝はまさにそんな風に始まった。名古屋の友人のバンド、ツクモクの音楽を聴きながら、「到着したら彼の喫茶店へ行って鉄ナポを食べよう」と思っていた。高速へ乗ってからはスーパーカーの一番好きなアルバム『Futurama』を大音量でセットした。地元で写真学校へ通っていた時代に一番よく聴いていたバンドだ。そう、家を出る前から、今回の旅は自分の過去への、故郷への、そして家族へと向かう旅だという気分でいたのだ。
 快晴の初夏のドライブ、いや季節は問わずだけれど、僕は一人で運転するときは大体窓を全開にする。去年まで乗っていた車は兄から譲り受けたもので、ダッシュボードの上に大きな茶色い鳥の羽根があった。それ以降、今の車に乗り換えてからも同じようにダッシュボードの片隅に置いていて、すこし気に入っていた。なんとなくそこに兄の意思を継いでいるような気持ちも、ささやかに持っていたかもしれない。家族に会いに行く帰省でもあったし、風にそわそわ揺れている羽根を横目に見ながら、兄弟のことをすこし考えていた。去年から山で古民家を借りて暮らし始めた兄 タカの家にも、翌日行くことができたらいいなと思った。そしてそれまで何の鳥の羽根なのか考えたことがなかったけれど、もしかしたら鷹かもしれないと勝手に納得した。
 ゴオゴオと音を立て続ける風をうるさいとは思わなかった。そして音楽に乗って車のスピードを上げたとき、その風を捉えたダッシュボードの上の羽根はふわりと宙に浮き、助手席側の窓から一瞬で外へ飛び立って行った。その瞬間はショックで思わず「あっ!」と声が出たが、次の瞬間にはなんとなく清々しさを感じている自分がいた。変な言い方かもしれないけれど、気に入っていたその羽根が消えてしまったことへのショックはその時もう感じなかった。別の新鮮な何かが吹き込んできたような気がしていた。
 
(つづく)

smile






・6月23日火曜日
「物事に対する感傷的な時間は誰の中にでもゆっくりと流れているような気がする。しかし、それは過ぎてみれば既知な事柄として、あっけなく慣習や安易な物語の中に消えてしまう。ただ、ひとはそれぞれが語り尽くせないほどのイメージや希望をたとえ微細であっても常に持ち続けて生きている。そしてそれが個人個人の生きてきた証しとして存在していく。
現在、こんな話を読んでみたところで時代遅れの感傷的な物語という印象を持つひとも多いことと思う。しかし、忘れたくないのは、いつの時代も〈永遠〉を求めているかのような作業が繰り返され、形にしようとする努力がなされてきたということだ。そしてそれは誰しもが一度は抱いたに違いない、脳裏の片隅に残り続けるひとつのイメージの塊であり、これから先も生きていくために必要な残像でもあるような気がする。」



永井宏『smile』まえがきより抜粋/写真は今年3月に永井さんの奥様、恵子さんを訪ねてご自宅へおじゃました時に撮影したもの

 夏が来て、フと永井さんの『smile』を読み返したくなった。夏は僕にとって特別な季節だと、10代の終わり、あの頃の夏を過ごしてから思い続けている。人からしてみれば必要以上にセンチメンタルな思いばかりを抱き、その記憶や憧れをなんとか今に、そしてこの先に結びつけようとしている。きっと、それはもう僕だけの話ではなく。そうやってそれぞれが自分にとって特別な記憶や憧れと共に生きていて、それが「これから先も生きていくために必要な残像」というものなのだろう。
 僕は「いつか見たことのある光景」を感じる瞬間や、匂いが「いつかのどこかにいた時の記憶」を蘇らせるような瞬間が大好きだ。

楽しいの周り



・4月20日月曜日 #2
 土曜日に久しぶりに海に入った。神奈川に来てからは名古屋にいた頃よりも海はすこし近くなったけれど、なんとなく「湘南の海」というイメージに苦手意識を抱いていた自分がいて、サーフィンをしに海へ向かう気にはなれなかった。もっとも、地元にいた頃も頻繁に海へ行っていた訳ではないし、腕前も未だ初心者レベルだということは言っておかなければならない。
 妻の学生時代のスケボー仲間が近年は専らサーフィンにはまっているというのを前から聞いていて、いつか一緒に行こうと誘ってくれていた。久しぶりに会ったりメールでやり取りをする機会があれば自然とそんな話になるものだから、ただの挨拶のようなものとしか初めは捉えていなかった。そのうちの一人は趣味でサーフボードを自作し始め、自宅とは別に海の近くにアパートを借りて、サーフィンを楽しむ生活を作りあげていた。
 車で彼らの待つアパートへ行くと畳の部屋でくつろぐ彼らがいた。壁にはサーフボード用のラックが造り付けられていて、さながらリラックスした(し過ぎた)サーフショップのような雰囲気すらあった。すだれを通してやわらかく日が差し、その光景には早くも夏を感じた。そして、彼らとは仲良くなれそうだと思った。もう一人の友人の到着を待ってみんなで板を抱え、海へ歩いて行った。
 海から上がった後、アパートに戻って順番でシャワーを浴びたり昼ご飯を食べ、コンビニで買ってきた缶ビールで乾杯した。僕は妻とのジャンケンに勝ったのだ。そんな、すべてから解放されたようなリラックスした、そして適度に疲労感も得た休日を過ごしていると懐かしい日々が思い出されてきた。あの頃は仕事も遊びも好きな場所に身を置いていて、今思い返すと「楽しかった」というそのシンプルな一言が一番ぴったりくる。そして、なんとなく最近またそんな生活が始まったような気がしている。けれど、今のその「楽しい」にはあの頃よりもきっともうすこし異なるニュアンスやディティールが含まれているのではないか。そんな「楽しい」の周りにある色々を大事にできればと思う。そうしてゆくうちに「楽しい」の枠が拡がってゆき、そんな気分にもっと包まれながら日々を過ごしていけるのではないか、なんて希望を抱いてみたい。

A WINDOW STORY


・4月20日月曜日
 きっと厚木基地の騒音対策なのだろう、うちの窓はどれも防音サッシだ。たまに機嫌のいい夜なんかに、隣家を気にせず大きな音で音楽を聴くことができて気に入っている。飛行機の音はたまにうるさい時があるという程度なので、防音サッシの存在に気付いたときはなんとなく得した気分だった。
 けれどなぜかトイレの窓だけは古い木のサッシで、笹の葉のような模様の磨りガラスに穴の空いた青い網戸と、そこだけローテク感が漂う。(家自体も決してハイテクではないが。) 風の強い日にはカタカタ音を立てたりするが、それはそれで気に入っている。なによりも、そんな一角があることで多少なりとも力の抜けた空間が在るという、矛盾を伴う安心感のようなものを感じるのだ。そしてその窓の向こうには裏に住むお婆さんが腰を曲げて作業をする畑が見えることも、そんな温かい印象を感じずにはいられない大きな理由だ。
 なぜトイレの窓だけなのかは謎のままだが、きっと作った人もわかっていたんだなと、勝手な解釈で都合のいい後味を残す。

nagai hiroshi/ growing green 1996



・4月6日月曜日
 永井宏展開催中の等々力巣巣で、象の音楽の朗読と山田稔明さんのライブを観た。どちらも何度も観ているけれど、昨日は昨日の心地いい感動があって、先輩たち(勝手に)の姿に自分のこれから先の道を照らしてくれるような明かりを見た。何度も観ているけれど、なんて書いたが、それは間違った考えが出てしまった言い方だと訂正しなくてはと思う。昨晩の帰り道「やっぱりライブはちょくちょく観に行った方がいいね」という会話をした。いいライブを観るとその都度自分の中に芽生えたり湧き立つものがあり、自然と自分の立ち位置や方向性を確認する作業が生まれている。昨日もそんな夜だった。日頃SNSなどのインターネット上で活動の様子を眺めていると、すこしだけその人の表現自体を理解している気になっていることがあるかもしれない。否定したいけれど、それがさっきの表現に出てしまった気がするのだ。当たり前だけれどライブの魅力はそういうところで、何度観たことがあっても、やっぱり昨日は昨日の心地いい感動があって、事実今日は気持ちが明るい。冬の間すこし雲がかかっていた自分の道にもちゃんと清々しい春が訪れたような、そんな気分。気が付けば足元に花の蕾もぽこぽこ出てきている。半袖・裸足で過ごせる今日みたいな陽気が、こんなふうに前向きな気分にさせてくれているのだとも思う。
 先日ご自宅へもお邪魔させていただいた永井さんの奥さま恵子さんは、もうすこしで故郷の北海道へ。その前にまたお会いできてよかった。僕が19歳の頃に初めてお会いしてからちゃんとおしゃべりのできる関係になったのは割と最近のことだが、ぼくは勝手に恵子さんはどんどん表情が明るくなっていると感じていて、これからもそうであってほしいと、今は心から願うばかり。気の利いた言葉を伝えることができなくて、お元気でいてください、と言うのがやっとだった。

展示は15日まで。
永井宏展/ growing green 1996